古文
高校生
解決済み

①の問題です。
こそなどの係助詞は強意の意味があると習ったのですが、解答の文末が「であろう。」と、推量になっているのはなぜですか?

問六 次の文の傍線部をそれぞれ現代語訳せよ。 ① 御坊の顔に火のつきたると思ひけるにこそ。 天の甘露もかぐやあらむと覚えて、 ②
匙王 問六 ① 思ったのであろう ② これほど であろうか 問七 1 ② 2

回答

✨ ベストアンサー ✨

文脈がそうだからだと思います。

この「こそ」は係助詞で、ここでは係り結びの省略が起こっています。「こそ」の後に続く文節として何が適切かは自分で考えなければいけません。
そして、意味論的な観点を抜きにしてそれを特定することは難しいと思います。

解答の現代語訳から察するに、省略されている文節は「あらめ」だと思います。きっと、御坊の顔に火がついたと本当に思ったかどうかは定かで無かったのでしょう。

この一文からその文脈は汲み取れないので、例えば「思ったのである」としてしまっても仕方ないと思います。
寧ろ、「思ったのであろう」という現代語訳が、どういう理由で生まれたのかをなんとなくイメージできることが大切です。

回答にあたって参考にしたyahoo知恵袋の質問です。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10150911170
(ただし、質問文中の「ある」「あらむ」はそれぞれ「あれ」「あらめ」だと思います。「こそ」の結びは已然形ですからね。)

よあこひ

文脈が確定ではない形なので、省略されているのはあらめになるのですね。
参考になるURLも、理解の助けになりました。
分かりやすい解答ありがとうございました。

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