古文
高校生

青の線で引いたところなんですけど、主語が右近なのになぜ敬意の方向が作者から中宮になるんですか?

11 B ず向かひさぶらふに、さうざうしうこそあわ ぬる昼つ方、犬いみじう鳴く声のすれば、「何ぞの犬のかく久しう鳴くにか あらむ。」と聞くに、よろづの犬訪び見に行く。御殿んなる者走り来て、 「あないみじ。犬を蔵人二人して打ちたまふ。 死ぬべし。 犬を流させたまひ けるが、帰り参りたるとて、調じたまふ。」と言ふ。心憂のことや。翁丸な う 1986さねふさ り。 「忠隆、実房なんど打つ。」と言へば、制しにやるほどに、からうじて鳴 きやみ、「死にければ、岬の外に引き捨てつ。」と言へば、あはれがりなどす る夕方、いみじげに憧れ、あさましげなる犬のわびしげなるが、わななき ありけば、「翁丸か。このごろかかる犬やはありく。」と言ふに、「翁丸。」と 言へど、聞きも入れず。 「それ。」とも言ひ、「あらず。」とも口々申せば、 2005 こん 「右近ぞ見知りたる。 呼べ。」とて、召せば、参りたり。「これは翁丸か。」と 見せさせたまふ。「似てははべれど、これはゆゆしげにこそはべるめれ。ま た、『翁丸か。』とだに言へば、喜びてまうで来るものを、呼べど寄り来ず。 Ji

回答

参り/たり
「参る」は「行く」謙譲語
まずこれは大丈夫ですか?
それプラス重要なのは、謙譲語というのは受け手を高める表現、尊敬語は主語を高める表現です。
カッコ内は右近(主語)→中宮(受け手)への言葉ですかね。カッコの外に「参りたり(謙譲表現)」があるので、作者から中宮(受け手)への敬意になります。
主語が右近、かつ謙譲表現だから敬意の方向が中宮になるということです。

ちなみに…文章全体が分からないので間違っていたら申し訳ないのですが、この考え方でいくともしこの「参る」が尊敬語の「いらっしゃる」になった場合は、作者から右近への敬意になるかと思います。

ありがとうございます!

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