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解決済み

東歌についてです。
「万葉集の東歌は、奈良の都でよまれたものでありながらなぜ東歌として編集されたのか。」という問題の答えが、教科書にもネットにも載っておらず困っています。
誰かわかる方いませんか?

回答

✨ ベストアンサー ✨

いろいろ通説がありますが、一つを紹介します。
東歌を見てみると他の防人歌などにくらべて民族的な特徴(特に方言の表現)が薄いです。つまり、中央の人によって手が加えられているということ。
それがなぜか、ということでしたね。
当時の日本(中央の王権)にとって東国は重要な地域でした。豪族を通した支配をおこなっていた西側と違い、早くから王権が直接支配していたからです。そして、東国は西側の人間からすれば大変奇妙で不思議な存在でした。そういった理由でヨーロッパから見たアメリカ大陸のように、中央からみると東国はどうしても行きたい開拓地・ニューフロンティアのような存在でした。
それを、市民たちに示すために東国の様子を書いた歌を書けばいい!となりました。しかし、東国の異様さを表すために方言を使いまくっても市民たちには読めない。だからちょっと手が加えられて読みやすく、それでいてあたかも東人が書いたような歌が万葉集に収められたわけです。

こんな感じでいかがですか。

なるほど。参考にさせていただきます。
わかりやすい解説ありがとうございました!

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