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中3 社会 世界恐慌と各国の対応

世界恐慌が欧米諸国にあたえた影響のうち、国際協調に与えた影響を教えてください。

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世界恐慌と各国の対応

第一次世界大戦のあとの経済

第一次世界大戦の前からアメリカは生産力がとても高かったのです!さらに戦争によってヨーロッパが弱体化したので、戦後(第一次世界大戦後)はアメリカが世界経済や国際政治の中心地になりました!

1929年に、アメリカで株価が大きく下がりました!株価などが大きくさがることを「暴落」(ぼうらく)あるいは「大暴落」(だいぼうらく)などといいます!この株価の大暴落(だいぼうらく)をきっかけに、世界的な不景気になり、世界中で多くの会社が倒産したり銀行が破綻(はたん)して、世界中で失業者が増えました!このアメリカの株価の暴落がきっかけになった世界の不景気を世界恐慌(せかい きょうこう、ワールド・エコノミック・クライシス)といいます!

このアメリカでの暴落が起きた日が木曜日だったことから、「暗黒の木曜日」つまり英語に直すと「ブラック・サーズデイ」とも、言うようになりました!アメリカでは、労働者の4人につき1人が失業しました!(失業率25%)

日本の状況

日本では世界恐慌の前から、すでに大戦景気の終わりによって不景気になっていました!日本では、世界恐慌(※ 1929年に起きる)の起こる前から、たびたび日本国内で不景気による恐慌が起きていました!1923年には関東大震災で、経済も大きく打いました!

日本では1927年に、多くの銀行の倒産や休業があいつぎ、取り付けさわぎも起こって、金融恐慌(きんゆう きょうこう)が起きていました!(※ 昭和戦前の「金融恐慌」を覚えさせるは中学範囲外だが、高校で覚えさせられるので、せっかくだから覚えてしまおきましょう!。この用語自体は、中学の検定教科書にも書いてあります!)

このような日本国内の金融恐慌にくわえて、さらに世界恐慌が1929年に起きたので、日本は大きく不景気になりました!アメリカ向けの生糸などの輸出をしていたので、日本も世界恐慌の影響を強く受けました!その上、さらに世界恐慌がやってきて、日本はとてつもなく不景気になりました!

そして日本では、多くの会社が倒産しました!このため、三菱や三井・住友などの財閥が倒産した会社の事業を吸収しました!だが、このことによって、財閥が大もうけしていると庶民から見られるようになり、財閥が敵視されるようになっていきました!

世界恐慌後、日本では農業が混乱していました!まずアメリカ向けの生糸が売れなくなったことから、日本では生糸の原料の まゆ の価格が暴落し、養蚕業(ようさんぎょう)が衰退しました!さらに1930年では、豊作で米の価格が暴落し、農家の収入がへり、農家がくるしくなりました!そして翌年の1931年には、こんどは凶作で、東北地方を中心に、農村が不況になりました!欠食児童(けっしょくじどう)がでたり、娘(むすめ)を身売りさせる家も出てきました!

いっそ農村から脱出して都市で働こうにも、むしろ都市で失業した人が農村にもどってくる状況でありました!

このように世界恐慌の影響が、日本では1930年ごろから影響があらわれはじめ、昭和恐慌(しょうわ きょうこう)となりました!

(※ 昭和戦前の「昭和恐慌」を覚えさせるは中学範囲外だが、高校で覚えさせられるので、せっかくだから覚えておきましょう!この用語自体は、中学の検定教科書にも書いてあります!)

このように日本国民の生活が苦しくなってきたため、労働争議や小作争議が、はげしさを増していきました!

順序
恐慌の名前のつく出来事が、たくさん出てきたので、順序をまとめます!

(日本での)金融恐慌 → 世界恐慌 → (日本での)昭和恐慌
の順序で起きています!

このうち、因果関係が直接的にあるのは「世界恐慌 → (日本での)昭和恐慌」であります!

日本の軍縮

同じころ、第一次大戦後の軍縮のながれがあったので、各国の政府は不景気もあり軍事費をへらすため、軍縮に同意しました!

1930年には、ロンドン海軍軍縮会議に日本も参加して、この条約(ロンドン海軍軍縮条約)に調印しました!

(※ 昭和戦前の「ロンドン海軍軍縮条約」を覚えさせるのは中学範囲外だが、高校で覚えさせられるので、せっかくだから覚えておきましょう!この用語自体は、中学の検定教科書にも書いてあります!)

(※ 第二次世界大戦の軍国主義のイメージのため、てっきり昭和の戦前の日本の軍事政策というと、てっきり軍備の増強ばかりをイメージしてしまいがちであります!ところが、実際には、1930年には、世界恐慌などの影響もあり、むしろ軍縮をしていた時期もあったのであります!しかし1931年の満州事変(まんしゅう じへん)で、事態は急変します!)
しかし、日本の軍人たちの中には、この軍縮を敵視しました!そして、この軍縮条約が、天皇の権限を犯しているという口実で、政党を批判する意見が、軍部内に強くなりました!

首相の浜口雄幸(はまぐち おさち)は、過激派の右翼の暴漢におそわれて負傷し、浜口は退陣をしました!

また、このころ恐慌だったため、政党が財閥の味方をして民衆を苦しめていると考える勢力が、軍部内に多くなり、軍部からは政党を敵視する意見が強くなりました!

(※ なお1928年には、張作霖(ちょうさくりん)を爆殺した事件を、日本の陸軍が起こしています!)

分かりにくかったら、ごめんなさい!m(_ _)m
一度、充電切れで書いたデータを失ったので、適当ですが、許して下さい!(><)

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彩花

長々とありがとうございました!!

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