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明治時代の初期議会の時に、
自由党はなぜ政府に接近したのでしょうか。

回答

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自由党の党首である板垣退助は、元々は明治新政府のメンバーでしたが、征韓論が否決されたことを機に政府を辞職し、反政府運動である自由民権運動を展開しました。民権運動が政府批判をして、最終的に何をねらいとしているのかというと政治の主導権を握ることです。それは帝国議会が始まって以降も変わりません。議会では第1党で予算案を否決するなどして政府と対立した自由党ですが、議会運営が難しいということで首相が辞職しても、結果として首相に選ばれるのは藩閥でした。そこで、自由党は政府に接近し、議会で協力することを条件に、自由党が求める地方に利益をもたらす政策の実現をはかります。
例えば、自由党が政府に協力することで、地方に鉄道や港が建設され、それにより経済が活性化して地主の利益が増えれば、地主は次の選挙で自由党に投票するでしょう。選挙に強くて政権にも参加できるのであれば、政府に協力できることについては協力する路線の方が自由党にとって利益があります。
しかし、自由党の支持基盤である地主の利益を損ねるようなことについては、政府に反対します。
日清戦争の前後から政府に接近した自由党でしたが、戦後経営のため第3次伊藤博文内閣が地租増徴をはかると、自由党や改進党は政府から離れ、合同して憲政党を結成したことがその例です。

ぶち

すごくわかりやすかったです!
ありがとうございました🙇

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