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簡単に説明。
1596年、多くの貿易品を積んでフィリピンのマニラからメキシコへ向かっていたスペインのサンフェリペ号が台風に遭い、土佐(今の高知県)に漂着。
その時、南蛮貿易の商売敵であるポルトガル人が『スペイン人は日本を征服しようとしている』と秀吉へ告げ口したことで、秀吉はキリスト教に強い脅威を感じ、外国人宣教師と日本人キリシタン、合計26人を長崎で処刑した(26聖人殉教)。
この一連の出来事をサンフェリペ号事件といいます。
↓背景を一応載せときます。見なくてもいいです。
1587年、キリスト教の布教を禁じ、外国人宣教師の国外追放を命じたバテレン追放令を発布(※バテレンとは来日したカトリックの宣教師のこと)。
このバテレン追放令は、キリスト教を迫害するほど強いものではなく、どちらかというと「緩い」もの。バテレン追放令では、布教を禁止しただけで、信仰までは禁止しなかった。秀吉は、貿易による利益を優先し、南蛮貿易(スペイン人、ポルトガル人との貿易)も奨励。この頃、キリシタンの数は20万人にものぼったという。
ただ、秀吉はキリスト教に対し不信感と恐怖心を抱いており、1596年サンフェリペ号事件をきっかけにより巨大化し、キリシタンたちへの迫害へとつながる。
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