歴史
中学生
解決済み

興味本位の質問です。 調べてもわかならなかったので聞きたいです。

1590年 遣欧少年使節とアレッサンドロ・ヴァリニャーニが帰国しました。
そこで、使節らは、権力者の豊臣秀吉に西洋楽器を演奏し秀吉は、大変喜んだそうです。
しかし、秀吉は、1587年バテレン追放令を出していました。

ここが少し納得できないんですが、秀吉はキリスト教に反対していたのではないのですか?

説明下手ですみません。

回答

✨ ベストアンサー ✨

宣教師は神社を壊したり(仏教や神道への迫害)を行ったりしましたし、キリシタン大名である大村純忠が勝手に長崎をイエズス会に寄進したり。。大名らが力をつこることを恐れたり。等々理由は色々あります。
そのため貿易船のみにしろという命令も出しています。
しかしそもそも宣教師とは貿易船に乗ってやってくるので意味などなかったのですが。

紗夜

最初は寛容的だったものがだんだんと脅威へと変わり、弾圧し始めただけのことかと思います。

baziru

質問に答えていただき、ありがとうございます!
なるほど!秀吉もキリスト教自体が嫌いというわけでは、なかったのですね。

紗夜

そうですね。
織田信長の政策の跡を継いだとも言えますし、ポルトガルとの貿易を重視していたこともあり、当初は寛容的だったものと思われます。

baziru

丁寧にありがとうございます!!

この回答にコメントする
疑問は解決しましたか?