✨ ベストアンサー ✨
輸出を禁止していないけど、そんなに輸出していたとは思えません。理由は、自軍の装備を整えないと、対米決戦なんてできない。
次に、大戦末期は、自軍の装備すらままなっていないので、そんな余力はまったくない。
もし、輸出と言って良いのであれば、満州の満州軍建設とか、太平洋戦争の占領地の武装化のために武器を供給していたぐらいでしょうか。
インドにシアでは、終戦後オランダがインドネシアの再占領を試みますが、日本軍に軍事教育を受け組織化された「ペタ」は、日本軍がおいていった武器(主に銃)を使い、日本に帰らずともにペタと一緒に戦う日本兵と共に、インドネシアの独立を勝ち取っています。
満州に残した戦車は、中国軍(人民解放軍)にわたり、活躍したそうです。だから、人民解放軍のパレードで、日本軍の戦車が戦車部隊の先頭を走ったそうです。パレードをする時には、ソ連から独ソ戦(機甲戦、戦車同志の戦争)を経験した強力な戦車ももらっていたはずなのに、当時としては貧弱な日本戦車が、彼らの中国国内での内戦に勝つことに意味深い活躍をしたからでしょうね。
戦後、台湾(中華民国)に払い下げとなった日本の駆逐艦は、台湾の旗艦として使われました。
こんな感じで良いですか?
ありがとうございます^ ^
おかげで理解できました!!