歴史
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国司はのちの守護ですか?
郡司はのちの地頭ですか?
そうであれば、国司が守護に、郡司が地頭になったのはいつの時代ですか?🙇🏻‍♀️🙇🏻‍♀️

回答

守護(しゅご)は、日本の鎌倉幕府・室町幕府が置いた武家の職制で、国単位で設置された軍事指揮官・行政官である。 令外官である追捕使が守護の原型であって、後白河法皇が源頼朝に守護・地頭の設置と任免権を認めたことによって、幕府の職制に組み込まれていった。 将軍により任命され、設立当時の主な任務は、在国の地頭の監督であった。

国司は、古代から中世の日本で、地方行政単位である国の行政官として中央から派遣された官吏で、四等官である守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)たちを指す。 守の唐名は刺史、太守など。 大国、上国の守は中央では中級貴族に位置する。

郡司とは、律令制で、国司の下で郡を治めた地方官のこと。大領・少領・主政・主帳の四等官からなり、主に国造(くにのみやつこ)などの地方豪族が世襲的に任ぜられた。 また、特に長官の大領をいう。

地頭とは、鎌倉幕府の職名。 文治元年(1185)源頼朝が勅許を得て制度化。 全国の荘園・公領に置かれ、土地の管理、租税の徴収、検断などの権限を持ったが、しだいに職域を越えた存在となり、室町時代には在地領主化が進行した。

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