保元の乱は後白河天皇と崇徳上皇の戦いですが、彼らを支援し、その武力の中核を占めていたのは源氏と平氏です。詳しく言えば、後白河天皇側には平清盛と源義朝がつき、崇徳上皇側には源為義、平忠正らがついていました。結果として、天皇方が勝利し、為義や忠正は殺されます。
その後、この戦いの勝者である平清盛と源義朝の間で主導権を巡る対立が勃発します。さらに、後白河天皇の側近であった藤原信西と、藤原摂関家の出身である藤原信頼が朝廷の実権を巡って対立するなど、状況は複雑化しました。そこで信頼は源義朝を味方に取り込み、平清盛が都を留守にしている間にクーデターを起こし、藤原信西を殺害、後白河を幽閉し、強引に政権を掌握します。
しかし、この事態を受けて清盛が都に帰還。彼は謀略を駆使して後白河を奪回すると、自分たちが官軍であると主張し、都に攻め入ったのです。これが平治の乱です。義朝軍は懸命に抵抗しますが、後白河を奪われたために形勢は不利に傾き、最終的に敗北してしまいました。
結果、義朝は逃亡途中の尾張で、かつての部下に殺され、三男の源頼朝は捕まりますが、伊豆への流罪で許されました。勝者の清盛は以後急激に出世し、平氏政権を築き上げていくことになります。
なので、平治の乱は誰VS誰といわれれば、藤原信頼・源義朝連合VS藤原信西・平清盛連合であるといえます。そして、勝者は平清盛ただ一人です。
少し難しいですがこんな感じです。
分かりにくかったらすみません🤦♀️
わかりました!ありがとうございます😭