歴史
中学生

鎌倉 室町時代で武士の政治はどのように進んで行ったんですか?

回答

 鎌倉時代は、武士が初めて朝廷に勝ち(承久の乱)、武士に自信が現れてきて、武士独自の法律(御成敗式目)を作りました。また、北条氏が執権として、政治の実権を握りました。しかし、北条時政の時に、フビライ・ハンが来て、元寇(文永の役・弘安の役)を起こします。なんとか、元には勝つことができたが、日本国内の武士は財政難に見舞われました。そこで、幕府は永仁の徳政令が出し、借金を帳消しなりました。しかし、借金を貸してくれていた人が今度は貸してくれなくなり、地方で悪党が発達しました。
 室町時代は、朝廷、後醍醐天皇の登場により、鎌倉幕府が滅びます。そこで、鎌倉幕府の足利尊氏が裏切り、鎌倉幕府は滅亡します。朝廷である後醍醐天皇は、長年、政治から遠ざけられていたから、武士を政治から追放しました(建武の新政)。しかし、足利尊氏率いる武士一行がこれに猛反発、南北朝に突入します。これに終止符をうったのが、足利義満。南朝を騙す形で、北朝が勝つことになります。勘合貿易を行い、幕府が力を持ち、朝廷は幕府の傀儡となります。足利義政が跡継ぎ争いにより、応仁の乱が起こります。弟の足利義視側VS息子の足利義尚側と戦います。その間、足利義政は現実逃避をして、銀閣寺なんかを作りました。京都は焼け野原になり、財政難となりました。これにより、守護大名という武士の力が強まり、戦国時代に突入します。足利義輝という武士将軍もいたものの、家来の家来である松永久秀に殺され、幕府の権威は地に落ちます。足利義昭が織田信長を頼り、上洛し、幕府復興をねらうも、失敗。織田信長を敵に回してしまい、慌てて、信長を包囲するも、全員、信長に殺されてしまい、室町幕府は滅亡しました。

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