Japanese classics
高中
已解決
この「なむ」は文法でいうとどういうなむですか???
(注1)
ことわり
(注3)
まことにありがたかりけることには侍らずや。理をわきまへる人すら、このかせぎはさりやらぬわざなる
[土]
"ことごとたとへもなくぞ侍る。
にて、瞋恚を厭ひて、住み慣れし境を捨てて、山深く思ひ入りつらむ心ばせ、
大方、「随心浄処即浄土摂」と説かれ侍れば、心だにも澄みなば、浄土ぞかし。 しかはあれども、何れのところも浄土にし
て、なじかはなれど、乱れやすき心の澄み難きには、悪しき境、悪しき友に会ひなむには、なにとてか乱れざるべき。我は瞋
り起こさじと念じ侍れど、人故なく腹立つには、また我もおこることにこそ。しかれば、これを振り捨てて、知らぬところに
も行くべきを、心よはさの類は、ここ住みよしと思はねど、我と兆せる思ひ失せやらで離れ得ぬに、思ひとりけむ心なれば、
(注5)
きざ
何とてかは仏の御心にも背き奉るべきと、昔のあとを思ひやれば、ただ今もさる心のつけかしと思はれて、涙げにところせ
きまで侍れば、縁起難思の限りならむと、いとどたつとく侍る。
なき
いか
み慣れた場所を捨てて、山奥に入って深く思いつめたような心持ち
は、一つ一つのことが例えようもなくすばらしいことです。
一般に、「心が清浄であればそこがすなわち浄土の境地となる」
と説かれていますから、心だけでも澄みきったならば、(どんな場
所でも) 浄土なのだよ。 そうではあるが、 どんな場所も浄土であっ
て、どうして(出家遁世が必要なのかと思うところ)であるが、乱
れやすく澄みがたい心にとっては、悪い場所、悪い友に会ったとし
たらそのときには、どうして乱れないでいられようか。 自分は怒り
を起こすまいと我慢しますが、人がわけもなく立腹するときには、
また自分も(怒りが起こることでしょう。だから、これを振り捨
てて、知らないところにでも行けばよいのに、心の弱い連中は、こ
こが住みよいとは思わないけれど、自分の心に生じた思いが消えき
らないで(ここを離れることができないのに、 (近宗は住み慣れ
た場所を捨てようと決心したという心なので、どうして仏の御心
にも背き申し上げることがあろうかと、昔の事跡を思いやると、今
すぐにでもそういう心が
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