Japanese history
高中
已解決

問3が分かりません。教えてください。

第2問 鎌倉·室町幕府の政治に関する次の文章A~Cを読み, 下の問い(問1~ 7)に答えよ。(配点 20) A 源頼朝の死後、次の北条氏略系図に記載された人物たちが幕府政治を主導した。 そして,承久の乱後の鎌倉幕府は, 3代執権の時期に合議制に基づく政治体制が 確立した。 執権政治の隆盛をもたらした3代執権の政策は、 孫の5代執権北条時順に受け 継がれた。その具体的な政策として新たに アを任命し,御家人たちの所領 に関する訴訟を専門に担当させ,迅速で公正な裁判の確立につとめた。 一方,13世紀前半にユーラシア大陸では東西にまたがる大帝国が建設された。 モンゴルの支配は広城に広がり, 地方的政権もつくられた。相続争いを経て即位 ィを全面的に服属させた。 したフビライ=ハーンは,後に国号を元と定め, フピライは日本に対してたびたび朝貢を強要してきたが,幕府の8代執権北条時 宗がこれを拒否したため,。元が大軍を率いて二度にわたり襲撃してきた。 この頃から御家人社会に広がった不満や動揺をしずめるためにも得宗専制政治 が強化されていった。 北条氏略系図 政子 経時 時政 義時 甲 時氏 時頼 時宗 乙 高時 時房
問3 下線部のに関連して, この結果や影響について述べた文として正しいものを, 次の0~0のうちから一つ選べ。 0 幕府は文永の役の経験を生かし, 弘安の役では上陸した元軍を集団戦で撃 10 退した。 2 幕府は新たに六波羅探題を設置し,北条氏一門を任命して御家人の指揮に あたらせた。 幕府は元の襲来を機会に, 御家人以外の武士をも番役などに動員する権利 を獲得した。 ④ 幕府は元の侵略の危機が去ったと判断し, 14世紀に入ると異国警固番役を 廃止した。

解答

✨ 最佳解答 ✨

3 が正解です。

1 元軍は文永の役、弘安の役ともに暴風雨により撤退しているので、集団戦で撃退したわけではない。

2 六波羅探題は承久の乱後置かれた。文永の役後は異国警固番役が強化された。この組織はもとから存在し、新たに設置されたわけではないことに注意。

3 正しい。元寇では、本所一円地の武士(=地頭の置かれていない場所の武士、つまり非御家人のこと)も動員された。その中には九州など西国の武士も多かった。

4 弘安の役後も異国警固番役は引き続き設置された。弘安の役後もまた元軍が攻めてくるかもしれないので、警戒態勢を維持し、後に鎮西探題も設置され、三度目の襲来に備えた。

yuki🍒´-

ありがとうございました。

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