世界史の範囲ですから、覚える必要はほぼ皆無ですが、当時の中国北部(以後華北とする)では「五胡十六国」と呼ばれる様々な国が成立しては消え、成立しては消え…というのを繰り返している時代です。
因みに五胡とは「匈奴・鮮卑・羌・氐・羯」と呼ばれる諸民族のことです。
時代順に整理すると、
有名な三国志の時代は、魏が蜀を滅ぼして、その後晋に魏が滅ぼされ、最後に晋によって呉が滅ぼされ終わります。そしてその晋も内ゲバを起こして争っている間に五胡と呼ばれる連中が領土を荒らしまくり、五胡の一つの匈奴により滅びます。ただその晋の王族の1人司馬睿という人物が南方に逃げて、晋を復興します。滅んだ晋と区別するために、この晋を一般的に東晋などと呼称します。その後南方では東晋を先駆けに、南朝と呼称される「宋・斉・梁・陳」の4王朝ができては消え、できては消えを繰り返します。
対して華北では五胡の一つ、鮮卑の拓跋氏と呼ばれる連中が北魏という国を作り、華北地域を統一します。
以後華北地域と江南に二つの王朝がそれぞれ並び立ったことから、この時代を南北朝時代と呼称します。
この南北朝時代を終わらせるのが有名な「隋」です。
隋の成立まではこれまた複雑ですが、華北に成立した北魏はその後東西に分裂、東魏と西魏に分かれますが、東魏は北斉に、西魏は北周という国に取って代わられます。そして北周が北斉を滅ぼして再度華北地域を統一すると、北周の外戚に当たる楊堅という人物が隋を作り、南朝の王朝陳を滅ぼして中国を統一します。
因みにこの楊堅の子供が、日本史でも出てくる聖徳太子のお手紙にブリ切れした煬帝です。
(とにかく複雑なので覚える必要は)ないです