Japanese history
มัธยมปลาย
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参考書の「9世紀末から10世紀前半にかけて、政府は国司制度を整備した。国司の最上席者(守)は政府から一国の支配を任されるようになり、受領と呼ばれるようになった」とあるんですが、つまり、この制度が整備される前は、国司の最上席者は一国の支配を任せられていなかったという解釈もできます。そういう認識でいいんでしょうか

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律令国家は中央集権的な政治体制であるということの理解につながる話だと思います。大宝律令が制定された当初の国司は中央から貴族が地方へ赴任して地方政治を行いますが、それは中央からの命令によって行います。この時期は中央の命令によって地方の統治がおこなわれているので、国司に一国の支配を任せるなんてことはしていません。これが中央集権ということです。それに対し10世紀の地方制度の改革では、国司の最上席者(守・介・掾・目のうち主に守)に大きな権限を負わせるのだから、それは受領が自分の判断で政治ができるということですよね。それだから、受領は自分の家来である郎等を連れて地方に赴任し、「尾張国郡司百姓等解」に見られるように暴力的に徴税をしたりもしています。このような国司の最上席者である受領に地方政治を委任するというのは、中央集権から地方分権への制度改革だったとも言えます。そうやって権力が分散していく中世へと向かっているという理解です。

さきち

ありがとうございます😊

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คำตอบ

そうですね。

律令制では地方の実務は郡司が行い、国司は主にチェックをする役割でした。
で、問題があった場合は国司が連帯責任を負いました。

9世紀に郡司層が没落すると地方の政治が滞り、国司のうち一人を責任者の受領として権限を拡大させました。

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