Japanese history
มัธยมปลาย
เคลียร์แล้ว

質問です。
下線の部分は、日英通商航海条約のことを言っているという理解であってますか??
教えて下さい〜!!
宜しくお願いします。

条約改正交渉の展開 法権の区震 A 不平等条約の改正・・・国の独立の強化、欧米諸国と対等な関係を構築 かったから 外交上 の問題 (領事裁判制度)の撤廃 (6関税自主権)の確立 →国内での西洋的諸制度の整備が急務 B 改正交渉の歩み 最恵国待遇により 欧米諸国ヘアヒ 満か政策 ノルマントン号事件などへの国民からの反感→失敗し「鹿鳴館時代」 ・イギリス アメリカと、 ①岩倉使節団・・・失敗 欧米諸国は法体系,政治・社会制度 アジア諸国とは不平等条約が当然と 税権回復 日米和親条約 ②6 寺島宗則)…関税自主権→失敗 (アメリカは賛成) 4 ③井上馨…領事裁判制度→欧化政策((鹿鳴館)の設立) 1889年頃 ④大隈重信… 大審院に外国人裁判官任用→国権派・民権派が大反対 国権主義者のテロで挫折 1801年頃 一般の人々が知らないように.. 〒 ⑤ (8青木周蔵 )・・・イギリスと相互対等を原則とした内容でほぼ合意 朝鮮をめぐる対立 → 大津事件)で辞任,交渉中断 4 日本を訪問していたロシアの皇太子小していた日本

คำตอบ

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違います。青木が外務大臣の時に条約締結一歩手前まで行ったところで大津事件が起き、その責任をとって青木は外務大臣を辞任したので、断念したのです。
それでも諦めきれなかった青木は駐英日本大使となり、その後も交渉に当たり、陸奥宗光外務大臣の時に日英通商航海条約の締結に成功します。
因みにですが難関大だと条約調印は日清戦争の前か後かを聞いてくる所もありますが、日清戦争直前のことです。陸奥宗光の回顧録に『蹇蹇録』という当時の外交記録としては一級品の史料があるのですが、そこに日清戦争直前に青木駐英大使から新しい条約の締結に成功したと報告があったことが記載されています。難関大を目指すなら覚えておいて損はないです。

りーたん😎

コメントありがとうございます。
理解出来ました〜!!!
納得です!
コメント有り難いです。
ありがとうございました。

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