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日本史 高校生

教科書の初期議会の対立ていうところを読んで 【写真】 質問が、「民党と吏党の関係」を簡単に説明しなさい。 なんですけど、全く分からなくて、、 最初は対立しててあとから政府に歩み寄るために、一緒になった。的な感じですか?? 読んでもどちらかと言えば民党しか書いてなくて…

75 議会開会以前の政府は,政策が政党の意向によっ ちょうぜん て左右されないとする超然主義を表明していた。 初期議会の対 かいしん しかし, 1890(明治23) 年の第1回衆議院議員総選挙では,立憲改進党 や立憲自由党などの民権派(民党)が大勝し,政府系勢力 (吏党) を上ま みんとう りとう わり, 衆議院の過半数をしめる事態になった。 第1回帝国議会では, やまがたありとも NAJIVA みんりょく 山県有朋内閣が軍備拡張の必要を強調したのに対し、民党は民力の休 養と行政費の節約をとなえて、政府とはげしく対立した。 20 つづく松方正義内閣や第2次伊藤内閣のもとでも、民党が政府提出 ➡p.183, さくげん の予算案を大幅に削減したため、政府は衆議院の解散という手段をと にっしん ➡p.193 って対抗した。このような政府と議会の対立は,日清戦争直前の第六 議会までつづけられたが、議会で予算を通すために, 政府はしだいに 民党を無視できなくなった。また民党側でも政府に反対するだけでは 25 政策を実現できないと考えるようになり、政府と政党がしだいに歩み 寄りをみせ始めた。

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日本史 高校生

下から5行目の、兌換制度により輸出拡大を目指すというところが、どうして兌換制度が輸出拡大に繋がるか理解できません どなたか優しい方説明お願いいたします

TEN 主権在君 制限進挙 もタ 五明 * R 4か 月 た 行道行へ官せ ろ 本 七 発 日 丸山作楽 番八七慶 歌華 史 神官. 1最初の日本銀行券 「大黒札」 捨(十) 円券 幼屋局札などを手がけたイタリア人のキョソーネ (1832~98) 。 1885年5月9日発行開始。 デザインは, 国立銀行紙 京日日新聞 政 2 松方財政と民権運動の激化 民の に。 政府は立憲政体の確立とともに, 近代的な財政 の確立にも迫られていた。殖産興業政策や西南 たえ しょくきんこうう 松方財政と不況 せま かん しへい 戦争の鎮圧に多額の経費を必要とした政府は,大量の不換紙幣を発行 して対応した。さらに国立銀行が発行する不換銀行券とあいまって、 はげしいインフレーションと物価高騰を招く結果となった。このため 定額金納の地租を中心とする政府の歳入は実質的に減少することにな り,政府は財政難に苦しめられた。また. 明治初期以来, 輸入超過が ちんあっ 一方、 5 こうとう さいにゅう ちょう か に 続き,貿易によって金銀貨(正貨)が海外に流出し,その保有高も底 た をつきはじめた。 そこで,大蔵卿に就任した松方正義は.軍事費以外の歳出を徹底的 てっていてき 7 さいしゅつ 10 おおくらきょう まつかたまさよし 1835~1924 >1 におさえ,大量に流通する不換紙幣の整理を進めた。 1882 (明治 15)年に中央銀行として日本銀行を設立し, 翌83年には国立銀行か ら銀行券発行の権利を奪い, 1885年から銀党換の日本銀行券を発行 うば ぎん だ かん し、ここに銀本位制が確立した。 15 この政策はデフレーション (松方デフレ) による物価引き下げと, だ かん おうべい 敵米と同様の党換制度の確立による輸出拡大をめざすものであった。 ふきょう しかし,デフレのため物価が大暴落し,全国的に深刻な不況におちい まゆ った。農村では増税に加え, 米や繭などの価格がいちじるしく下落し, ちょくげき 生活を直撃した。中小地主や自作農民のなかには土地を手放す者が続 出し,小作農になったり, 都会へ出て工場労働者になったりした。 を中心

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