日本史
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「企業勃興のブームは株式払込の集中に伴う金融逼迫と、1889年(明治22年)の凶作や生糸輸出の半減とで挫折したが」について、生糸輸出が半減したのは何故でしょうか?教えていただけると幸いです。

5 産業革命 産業革命と社会の変容 90 まつかたまさよし 1880年代前半の松方正義大蔵卿のデフレ政策のもとで,貿易 (→ p.59) ぎんほんい ちょうか は輸出超過に転じ, 銀本位の貨幣制度がととのえられて物 価が安定し金利が低下すると,株式取引が活発になり産業界は活気づいた。『 ほうせき 1886~89(明治19~22) 年には鉄道や紡績などで会社設立ブームがおこり (企 ほっこう 業勃興),機械技術を本格的に導入する産業革命が始まった。 ブームは株式 ひっぱく きょうさく きいと 払込みの集中にともなう金融逼迫と,1889(明治22) 年の凶作や生糸輸出の 第2章 立憲国家の成立
5 きょうこう 半減とで挫折したが (1890年恐慌), これを機に日本銀行は,普通銀行を通 じて産業界に積極的に資金を供給する態勢をととのえた。 にっしん ばいしょうきん 日清戦争の勝利で日本は清から巨額の賠償金を得た。政府は,これをも *p.81) とにして戦後経営を進め、軍備拡張を推進するとともに,金融・貿易などの しんこう 面から産業の振興をはかった。
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回答

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企業勃興が起こると会社を建てたい!という連中が沢山出てくるわけです。そうなると銀行から金を借りるわけなんですが、銀行は人々から預かった金を別の企業や個人に貸して利益を得ているわけです。しかし企業勃興の時は会社設立資金を貸し過ぎたり、本来預金に回されるはずの地主かなんかの金も会社設立に回ってしまい、設備投資やら企業の安定化の為などのその他の既にある企業が金を借りれないような状態になってしまったんです。だからその反動で不況に陥った訳です。不況になったら当然輸出産業等も打撃を受けますから生糸輸出も半減した訳です。

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