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古文単語の選択問題です 2️⃣3️⃣4️⃣の答えを教えてください

古文知識 ⑨日数の早く(4)ほどぞ、物にも似ぬ。 ① 過ぎ ② 過ぐ おのこ 男も〈船旅に〉 ならへ ② ならひ ならは ならい ならえ 2 次の各文の傍線部の現代語訳として最も適当なものを、後の各 群の①~⑤のうちからそれぞれ一つずつ選べ。 ①京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。 ① 鳥であるならば ② 鳥として 鳥であるにつけ 鳥なので ⑤ 鳥といって 一事を必ずなさむと思はば、他のことの破るるをもいたむ べからず。 ① 成就しようと思うので ② 成就しようと思うならば 成就しようと思うについて ④ 成就しようと思うからには 成就しようと思うやいなや (5) 過ぎる 過ぐる ⑤ 過ぐれ ぬは、いと心細し。 次の各文の空欄に入る助詞として最も適当なものを、後の各群 の①~⑤のうちからそれぞれ一つずつ選べ。 よろづの遊びを()しける。 (様々な管弦の遊びをした。) こそ いみじき骨は得てはべれ。 (隆家はすばらしい骨を手に入れました。) (2 こそ なむ たんご 丹後につかはしたる人参りたり( )。 (丹後に遣わした人は帰ってきたか。) ぞ なむ こそ 次の各文の傍線部の意味として最も適当なものを、後の各群の ⑤のうちからそれぞれ一つずつ選べ。 ①① 何も何も、小さきものはみなうつくし きれいだ かわいらしい 弱々しい いたわしい 2 14 ぞ たかいへ 隆家( ①ぞ 2+ (3) (c) ⑤ 見事だ 5 も

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古文 高校生

ピンクの傍線部分についてなのですが、副詞の「え」は陳述の副詞であり、その後に打消の語が伴って「〜出来ない」といった不可能の意味を表します。代表例だと「え〜ず」です。しかし先程示した部分は打消の語が特にないように見えます。ここの部分の副詞の「え」は一体どのような働きをしている... 続きを読む

17 文法 放吾 おおかがみ 歴史物語 大鏡 テーマ 読解 登場 格助 名無話 て、いと いにしへのやう (他の責 回-歴 書撃に図·用 接助 トコ用 この 中納言 は、かやうに え 避りがたき こと の 折々 ばかり歩き 給ひ この中納言(=藤原隆家)は、このようにやむを得ないことのある時々だけ 出歩きなさって、 あまり昔のように、 開州# の 形動ナリ-語幹格助 名 聖 る繰 こと は なかり ける に、入道殿 の 土御門殿 にて 御遊び ある に、「かやう SJとに、 合いなさることは なかったが、 入道殿(=藤原道長)の(屋敷である)土御門殿で音楽のお遊びがある時に、「このような宴に、 格助 尊サ下二-用一 当P-|- なき こそ、なほ さうざうしけれ」と のたまはせ て、わざと 御消息 聞こえ させ給ふ いないのは、 ほど、 やはり 物足りない」と (入道殿が)おっしゃって、 わざわざ お便りを 差し上げなさるうちに、 (奥の 格助 ラ四-用 接助 n-|-E 業八四、用 接助 n国-歴 接助謙八四·未 う四-用 四:巳 甲 またたび に なりて、人々 乱れ たまひ て、紐 おしやり て さぶらは るる に、この 中納言 まゐり 給へ 度にもなって、(その場の) 人々が乱れなさって、(上着の)紐を解いて(くつろいで)控えなさっていると、この中納言が参上なさったので、 A- n回-E 四、用 お- 書部-田 通去, 巳 接助 名 5 うるはしく なり て、居直り など せ (人々が)きちんとなって、居ずまいを正しなどしなさったので、 られ けれ ば、殿、「とく 御紐 解か せ 給へ。 こと やぶれ侍り カ四-未 尊敬-用 補八四·命 名一 ラ下二-用 丁補ラ変·用強意: 線 入道殿が(中納言に)、「早くお紐をお解きください。きっと興が冷めますだて |- 書部 開-D 回-田 お国-歴 幕補八四:体 接助 名 を、公信 と 仰せ られ けれ ば、かしこまり て 逗留し 給ふ とおっしゃったので、(中納言は)恐縮して一

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古文 高校生

ピンクの傍線部分についてなのですが、副詞の「え」は陳述の副詞であり、その後に打消の語が伴って「〜出来ない」といった不可能の意味を表します。代表例だと「え〜ず」です。しかし先程示した部分は打消の語が特にないように見えます。ここの部分の副詞の「え」は一体どのような働きをしている... 続きを読む

17 文法 放吾 おおかがみ 歴史物語 大鏡 テーマ 読解 登場 格助 名無話 て、いと いにしへのやう (他の責 回-歴 書撃に図·用 接助 トコ用 この 中納言 は、かやうに え 避りがたき こと の 折々 ばかり歩き 給ひ この中納言(=藤原隆家)は、このようにやむを得ないことのある時々だけ 出歩きなさって、 あまり昔のように、 開州# の 形動ナリ-語幹格助 名 聖 る繰 こと は なかり ける に、入道殿 の 土御門殿 にて 御遊び ある に、「かやう SJとに、 合いなさることは なかったが、 入道殿(=藤原道長)の(屋敷である)土御門殿で音楽のお遊びがある時に、「このような宴に、 格助 尊サ下二-用一 当P-|- なき こそ、なほ さうざうしけれ」と のたまはせ て、わざと 御消息 聞こえ させ給ふ いないのは、 ほど、 やはり 物足りない」と (入道殿が)おっしゃって、 わざわざ お便りを 差し上げなさるうちに、 (奥の 格助 ラ四-用 接助 n-|-E 業八四、用 接助 n国-歴 接助謙八四·未 う四-用 四:巳 甲 またたび に なりて、人々 乱れ たまひ て、紐 おしやり て さぶらは るる に、この 中納言 まゐり 給へ 度にもなって、(その場の) 人々が乱れなさって、(上着の)紐を解いて(くつろいで)控えなさっていると、この中納言が参上なさったので、 A- n回-E 四、用 お- 書部-田 通去, 巳 接助 名 5 うるはしく なり て、居直り など せ (人々が)きちんとなって、居ずまいを正しなどしなさったので、 られ けれ ば、殿、「とく 御紐 解か せ 給へ。 こと やぶれ侍り カ四-未 尊敬-用 補八四·命 名一 ラ下二-用 丁補ラ変·用強意: 線 入道殿が(中納言に)、「早くお紐をお解きください。きっと興が冷めますだて |- 書部 開-D 回-田 お国-歴 幕補八四:体 接助 名 を、公信 と 仰せ られ けれ ば、かしこまり て 逗留し 給ふ とおっしゃったので、(中納言は)恐縮して一

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古文 高校生

テストに出るのでお願いします!🙇‍♀️🙇‍♀️ 問題文a〜cの『む』の活用形をお願いします、 【未然形,連用形,終止形,連体形,已然形,命令形】

に U 装原伊周(帥殿)は花山院に矢を射かけた罪で播磨の国に配流されていたが、母北の方が重病であると聞いて、配 所を逃れ入京する。 」 はかなく秋にもなりぬれば、世の中いとどあはれに、荻吹く風の音も、遠き程の御けはひのそよめきにおぼしよ (州一) 0 そへられけり。播磨よりも但馬よりも、日々に人参り通ふ。北の方の御心地いやまさりに重りにければ、ことごと、 したり 、む、帥殿今一度見奉りて死なむ」といふ事を、寝ても覚めてものたまへば、宮 なし。「殿今一度見奉りて死な (注2) く の御前も。いみじう心苦しきことにおぽしめし、この御はらからの主達も、「いかなるべきことにが」と思ひまは 州 せど、なほいと恐ろし。北の方はせちに泣き恋ひ奉り給ふ。見聞き奉る人々もやすからず思ひきこえたり。播磨に一 はかくと聞き給ひて、「いかにすべきことにかはあら、む。《市 事の聞こえあらば、我が身こそはいよいよ不用のも のになりはてて、都を見でやみなめ」など、よろづにおぼし続けて、ただとにかくに御涙のみぞ隙なきや。「さは れ、この身は又はいかがはならむとする。“これにまさるやうは」とおぼしなりて、「親の限りに冠はせてむ見奉 りたりとて、公もいとど罪せさせ給ひ、神仏もにくませ給はば、なほさるべきなめりとこそは思はめ」とおぽした: ちて、夜を昼にて上り給ふ。さて宮の内には事の聞こえあるべければ、この西の京に西院といふ所に、いみじう忍 e びて夜中におはしたれば、上も宮もいと忍びてそこにおはしましあひたり。この西院も、殿のおはしましし折、こ 」 の北の方のかやうの所をわざと尋ねかへりみさせ給ひしかば、その折の御心ばへどもに思ひて、“洩らすまじき所 をおぼしよりたりけり。母北の方も、宮の御前も、御方々も、殿も見奉りかはさせ給ひて、又今更の御対面のよろ こびの御涙も、いとおどろおどろしういみじ。上は,かしこく御事に乗せ奉りて、おましながらかきおろし奉り (出m) ける。いと不覚になりにける御心地なりけれど、よろづ騒がしう泣く泣く聞こえ給ひて、「いまは心安く死にもし 侍るべきかな」と、よろこび聞こえ給ふも、いかでかはおろかに。あはれに悲しとも世の常なりや。 但馬||伊周の弟隆家が配流されていた地。 御はらからの主達||母北の方のご兄弟たち。 おまし 御座所。ここでは車の内に設けた御座所。 (参考)人物関係図 道隆(殿·故人) -帥殿(藤原伊周) 隆家 北の方 (上) -御はらからの主達 間一 傍線部A.Bの本文中における意味として最も適当なものを、次 -宮の御前 (中宮定子)

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日本史 高校生

この問Iの答えが3なのですがどこが誤りなのでしょうか?解説いただければ嬉しいです。

次の文章を読んで,下記の設問(A ~J)に答えよ。解答はもっとも適当なものを1つ選び,解。 答記入欄のその番号をマークせよ。もし,適当なものが無ければ 6 をマークせよ。 日本人の伝統的な信仰形態はあらゆる自然物,自然現象に霊威を認め,かつ呪術により災いを避け,安寧を求めるこ とにある。それは古くは縄文時代の遺物·遺構にも見られ,弥生時代にも受け継がれ,ついに古墳時代には、今日見ら れるわが国固有の神祇信仰の原型がつくられるまでになった。 1 ロ ハ 朝鮮半島との交流により6世紀に入り仏教が伝えられた。仏教の受容をめぐっては中央豪族の 氏の対立抗争までひきおこしたが,結局は,聖徳太子の政治改革の思想的支えとなり、奈良時代には国家鎮護の宗教と なるなど,仏教は政治と密接に結びついていった。平安時代になると仏教の新しい展開が見られた。いわゆる密教の導 入である。密教は呪法や加持祈祷などにより現世利益を説いたため,貴族たちのあいだに信仰をえて広まっていった。 国風文化の波は宗教世界にもおよび,仏教とわが国固有の神祇信仰とが結ひびつきを深め,神仏習合の動きが加速され た。また,貴族政治の退廃や地方政治の乱れから武士の反乱があいつぎ,社会不安が増大した。ここに,現世の不安か ら逃れ,来世に救いを求める浄土信仰が急速に広まり,その流れは末法思想によって拍車がかけられた。浄土信仰は貴 族層だけでなく庶民の間にも広がり、鎌倉時代になり大きく発展してゆくこととなる。 ホ 氏と ヌ ル

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