日本史
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【親王について】親王宣下という仕組みが成立する前は、明治以降のように親王や内親王には皇子であれば誰でもなれたのですか?
それとも、親王宣下ができる前はそもそも「親王」という地位は存在しなかったのでしょうか。

「親王」という位が出来てから、今に至るまでどのように定義が移り変わっていったのか、教えて頂きたいです。

回答

✨ ベストアンサー ✨

古代では、大王の子弟は皆、「皇子」と称されました。

「親王」という地位について規定されたのは、8世紀からです。
701年に施行された大宝律令によって、皇族の範囲が制度化され、「天皇の子及び兄弟姉妹を親王・内親王とする」とされました。
(2世以降は、「王(女王)」とされます)

つまり、天皇の皇子や皇女、または天皇の兄弟姉妹であれば、だれでも親王(内親王)になれました。

第40代天皇である天武天皇の皇子・舎人親王が、最初の親王であると言われています。

第47代・淳仁天皇のときからは、天皇の子女であっても、親王宣下を受けなければ親王・内親王を名乗れなくなりました。
天皇の子であっても、何らかの事情で親王宣下を受けられなかった者もいます。

平安時代後期には、中宮・皇后から生まれた皇子でなければ、親王宣言されないのが慣例となっていました。
皇継候補者でない皇子は出家して大寺院に入り、得度後に法親王宣下を受けるのが慣例でした。

(反・平家の旗頭となった以仁王は、後白河天皇の皇子ですが、母親の身分が低くて親王宣下を受けられず、諸王のままでした)

一方で、院政期ころから、皇子女ではない皇族が親王宣下を受けて「親王」になる例も出てきました。
「親王号を与える権限」も、治天の君の権限の一つであったようです。

鎌倉時代ごろには、「世襲親王家」が成立します。
それまで、「○○宮」というと個人を指していましたが、個人名から家名を指すようになり、代々親王宣下を受けて、家名を世襲するようになりました。

明治22年に皇室典範が制定され、「皇子(1世)から皇玄孫(4世)までが親王」であるとされました。
ただし、世襲親王家ですでに親王宣下を受けていた皇族の、親王号返上はありませんでした。
ただ、○○宮という呼び名は、家名から個人名に戻っています。

戦後の、新しい皇室典範で更に改正され、「天皇の嫡出の皇子・及び嫡男系嫡出の皇孫の男を親王とする」とされました。
これが、今も続いています。

ぴのすけ

知りたいことが全て理解出来ました!本当にありがとうございます!!

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