日本史
高校生
解決済み

これについて質問です。では、この後の平安京の造営はどうなったんですか。未完成で終わっちゃだのですか。また、蝦夷との戦いもどうなったんですか

へいあんきょう しかし、 東北地方での戦いと平安京の造営という二大政策は、国 家財政や民衆にとって大きな負担となったため、805 (延暦24)年、 桓 とくせいそうろん さいてい 武天皇は徳政相論と呼ばれる議論を裁定して、ついに2つの事業を打 ち切ることにした。

回答

✨ ベストアンサー ✨

有名な徳政相論(論争)ですね。結果的に双方中止という結論を唱えた藤原緒嗣が勝ち、平安京の造営及び蝦夷征討は中止される事になりました。
が、蝦夷征討はその後も結局継続され、平安京の造営のみ実質中止という形になりました。
平安時代の中流貴族、慶滋保胤の『地亭記』という日記にはこれによって早期に平安京の右京は衰退したことが記載されています。

さきち

ありがとうございます😊

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