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1881[北海道開拓使官有物払い下げ事件]
とは具体的にどのようなことが起こったのでしょうか教えてください🙇‍♀️
また、官有物とはなんですか?

回答

✨ ベストアンサー ✨

「開拓使官有物」というのは、開拓使が持っている土地や施設のことです。
(官有物=国家が持っている物、施設)

「開拓使」は、明治政府の、北海道を開拓する機関。
「払い下げ」は、国が所有する物を、民間に売ることです。

開拓長官だった黒田清隆が、開拓使官有物を安く払い下げようとしたところ、国民の激しい批判を受けて、払い下げを中止した...というのが、「北海道開拓使官有物払い下げ事件」です。

当時の日本は、北海道の開拓に力を入れていましたが、膨大な予算をかけたわりに、開拓はなかなか進みませんでした。
そこで、明治政府は開拓使を廃止することを決めます。

開拓を続けたい開拓長官の黒田清隆は、部下を退職させて企業を作り、そこで開拓事業を続けようとしました。
そのために、開拓に必要な開拓使の施設・設備(開拓使官有物)を、その企業に安く払い下げることを決めました。
それが新聞記事になり、国民の批判が殺到することになります。

なぜ、国民が激怒したかというと。

まず、払い下げる額が、ものすごく安かったということ。
開拓使の施設や設備は、政府の持ち物ですから、もとは税金で作られたものですよね。
当時のお金で1400万以上かけて作った物を、39万円で売ろうとしていたんです。
(現在の価値でいうと、3000億かけて作ったものを、90億そこそこで売る、ということです)

さらに、開拓使官有物の払い下げる企業にはお金がなかったため、一旦、五代友厚というビジネスマンに、無利子の30年ローンという、破格の待遇で払い下げようとしていたことも、問題になりました。
この五代という人、黒田とは同じ薩摩藩の出身で、友人なんですね。
そのため、
「黒田は、俺らが納めた税金で買ったもんを、友達に安く売るつもりだ!!」
...と、思われたんです。

高まる批判の声に、政府は、払い下げも中止せざるを得ませんでした。
黒田は開拓長官をやめ、開拓使も廃止されました。

(ちなみに、新聞に記事が載ったのは、払い下げに反対していた「大隈重信」が情報を流したせいだ!と考えた伊藤博文・黒田清隆らは、明治十四年の政変で、大隈を失脚させています)

( ⋅֊⋅ )

とても分かり易いです!
モヤモヤが解決しましたありがとうございます😊

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