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もともと日本は神仏習合であった。
神仏習合…神様仏様的なイメージ。
→神道(日本古来)+仏教が融合した。

これが、明治時代に入ると祭政一致という立場を政府はとるようになる。
祭政一致とは?
→祭祀と政治とが一元化・一体化していくこと。
=天皇中心という国作りが背景だね。

この方針のもと日本は神道を国教とするようにしました。
国教…国の宗教



その結果、神仏分離令や大教宣布の詔などによって、神仏習合を否定するようになる。
神仏分離令…1868年に出した神仏習合から神仏分離へとする一連の法律。
大教宣布の詔…神道を日本の国教とする詔。


発布された後
・神祇官の復活。
神祇官とは?
→もともと、古代の日本にあった朝廷の祭祀を司る官庁名。
その神祇官は当時の太政官よりも立場は上に。
・廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)が盛んに
→毀釈の字に注意!!
廃仏毀釈とは寺院・仏像、仏具の破壊運動のこと。

結局最終的には?
→まず、神祇官が廃止され、教部省が設立。
教部省は神祇官に代わる宗教関係を所管する官庁。
大教院や中教院などをつくる。
→仏教の立て直し。
廃仏毀釈の運動に対抗する者が現れた
→特に本願寺派の島地黙雷が中心となる
・大教院、教部省廃止
→仏教派の猛反対によるもの

その結果政府は神道国教化を諦める

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