それまでの内閣
一部のお偉いさんが、選挙の結果に関係なくお偉いさんたちで話し合って総理大臣などを決めてた
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徐々に、内閣のメンバーに衆議院議員(国民が選挙で選んだ)がなるようになる。総理大臣は基本お偉いさんが決める
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原敬の内閣
内閣のメンバーがほぼ衆議院議員で構成され、一番国民から投票をもらった党のリーダーである原敬が総理大臣になった(ある意味では国民が総理大臣を選んだとも言える)
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基本的には原内閣と同じように「一番国民から投票をもらった党のリーダーが総理大臣になる」というのが続けられる(憲政の常道といいます。)
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色々あって政党内閣への不満が高まる、特に発言力のあった軍が政党内閣へ不満をもち、犬養毅首相を暗殺する(5・15事件)。
次の首相も政党内閣にしたら、軍がまた暴れるやろなぁとお偉いさんが判断して、政党内閣をやめました。
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このあとは太平洋戦争が終わるまでお偉いさんが内閣総理大臣を決めるようになり政党内閣はできません。
多分こんな感じですちがってたらすんません
誰が、なんで、不満を持ち始めたんですか?
世界恐慌などの影響を受けて、日本は不況に苦しみますが、当時の内閣はうまく対処できず国民が不満を持ち始めます。
また、軍事費の削減と世界的な軍縮の影響で、軍備の削減を図りますがそれが原因で軍部が不満を持ちました。
こんな感じですかねね
ありがとうございます!
ありがとうございます!