文久4年(1864年)
1月14日、従四位下に叙し、左近衛権少将に任ず。
2月1日(3月8日)、大隅守兼任。
4月11日(5月16日)、従四位上に叙し、左近衛権中将に任ず。
明治2年(1869年)
3月6日、従三位に叙し、参議に任ず。
6月2日(7月10日)従二位・権大納言に推任叙されたが、辞退。
明治4年(1871年)9月13日、従二位に叙す。
明治6年(1873年)
5月10日、麝香間祗候となる。
12月25日、内閣顧問に就任。
明治7年(1874年)4月27日、左大臣に就任。
明治8年(1875年)
10月27日、左大臣を辞任。
11月2日、麝香間祗候となる。
自分はここまでしかわからないです。
すいません(_ _)
わかりました!もう少し簡単にまとめてみます!
ありがとうございます😭✨
薩摩藩藩主の父として薩摩藩の権力を握ります。
公武合体派として、尊王攘夷派と戦いますが、最終的に徳川慶喜と意見が合わず倒幕を決意します。
倒幕の功績によって、明治政府から位を受けますが、伝統を重んじ、武士による政治を重視する(ちょんまげを切らない)久光は明治政府とは意見が合わず政界を引退し、余生を鹿児島で過ごしました。
だいたいこんな感じだと思います
たにたさん
ありがとうございます✨
回答ありがとうございます。
自分には難しかったので、もう少し簡潔に説明していただけるとありがたいです。