日本史
高校生
解決済み

至急でお願いします。

答えはすべて解答欄に書きなさい。 [1] 近世社会の成熟と幕藩体制の動揺に関し、次の各問いに答えなさ [1] い。 [思・判・表] (1) 享保の改革と経済の発展について、 各文の空欄にふさわしい語句 を解答欄に書き入れなさい。 (教科書 P.166~P.168 参照) 1716年, 紀州藩主 (①) が8代将軍となり、 享保の改革が 始まった。 この時代は、 手工業生産にも変化が見られ, 京都の西 陣から高機が伝わると, 北関東では問屋商人が原料や資金を農家 前貸し 製品を受け取る (②)も現れた。 学問の世界では, 江戸の儒学者 (3) が中国古代言語を研究して古典の解釈を 試み、 また、政治・経済などへの造詣の深さから ( ① )の政治 顧問にも就任した。 彼の説く学問は経世論として確立され、幕藩 体制に動揺のきざしが見えるとさらに盛んになり、弟子の ( ① )は、 藩による商業活動や専売制の必要を論じるなど, 後世にも通じる 経済論を展開し、江戸の政治、経済思想上に名を残している。 (2) 近世社会の成熟と危機の始まりについて、各文の空欄にふさわしい 語句を解答欄に書き入れなさい。 (教科書 P.170~P.174 参照) (1) (2) e 2 ④ ① 3 © A (3点×12) 庶民の初等教育機関である(①)は, 18世紀半ばから19 世紀半ばにかけて増加・普及した。 文化面では、文人画の世界で 秀作を残しながら、 俳句の世界でも活躍した(②)が現れた。 同時代の画家には, 動植物を題材とする優れた作品を多く残した (③)もいる。 浮世絵の分野では, () が多くの美人画を描き人気を博した。 日本の古典を研究する (5)では、賀茂真淵や本居宣長が,文献学的な研究を発展させた。 政治の世界では、10代将軍家治の時代に老中を務めた (⑥) が, 商人の経済力に着目した財政再建に 取り組んだが、賄賂政治の批判を受けたり、相次ぐ天災や凶作で「(⑦) の大飢饉」が発生するなど, 社会 不安が広がる中, 失脚した。 農村でも変化が見られ、18世紀半ばには有力な百姓の中から農村工業や商業な どの多角的経営を始める (⑧)が各地に登場した。
答えはすべて解答欄に書きなさい。 [2] 近世社会の成熟と体制の動揺に関し、次の各問いに答えなさ い。[知・技] (1)幕藩体制の立て直しについて、各文の空欄に適する語句を解答欄 に書き入れなさい。(教科書 P.175~P.179 参照) 11代将軍家斉の頃、白河藩主 (1) が老中になり、寛政の 改革を進めた。同じ頃、諸藩でも (②)が行われ,特産物の増 (1) 産や専売制度による財政立て直しなどで大きな成果を挙げる藩もあ った。この頃、日本近海にはロシア船が出没し幕府が危機感を募ら せる中、1792年に (③)がロシア使節として根室に来航し、 通商を求めたが、幕府は長崎への入港許可を与えたのみで退去さ せた。以後もロシアの接触は続き、 蝦夷地の地理情報取得の必要 性を意識するようになった幕府は、 探検隊を派遣するなどした。その 幕府天文方の高橋至時に学んだ () は、 蝦夷地から 始まり, 日本列島全域の海岸線を測量し、 その成果は死後『大日 本沿海輿地全図』としてまとめられたが, 幕府はこれを機密扱いとし た。この時代の文化は化政文化といわれ, 長編小説 『南総里見八 犬伝」が好評を博した (5) や大胆な構図と緻密な描写の浮世 絵作者 (⑥) などが有名である。 (2)幕藩体制の動揺について、各文の空欄に適する語句を解答欄に 書き入れなさい。(教科書 P.180~P.185 参照) 日本近海を航行する外国船に対し、幕府は1825年 (①)を 出し海防体制強化を図った。 こうした幕府の姿勢を批判した渡辺華 山らが幕府から処罰された (②)も起きた。 1833年に発生した (③)では、全国で餓死者や生活困窮者が多数出て、 百姓一 揆や打ちこわしも頻発し、中でも元大坂町奉行所与力の大塩平八 郎の乱は1日で鎮圧されたが、幕府や諸藩に大きな衝撃を与えた。 19世紀には農業や手工業の先進技術が全国に広まり、一部地域 では分業と協同作業で生産性を上げる (4) も始まった。 © C ① A 3 (2) (5) 6 (34×15) 1840年, アヘン戦争勃発の報に接した老中水野忠邦は() を開始し, () で商人の自由営業 を認めるとともに、物価引下げ令を出して物価安定を図った。 しかし、幕府の直轄地を江戸大坂周辺に集約しよ うとした(⑦)が諸大名らの猛反対を受け、 水野は失脚して改革は終了した。 欧米諸国の日本接近の頻度が増すにつれ、 蘭学など西洋学術の研究熱は各地で高まった。幕末に大坂で 緒方洪庵が開いた ( 8 ) は、橋本佐内, 大村益次郎, 福沢諭吉ら多数の人材を輩出した。 世情不安の裏 返しで庶民生活の中では旅行ブームが起き、 大勢で伊勢参詣に向かう(⑨)などが何度か流行した。
答えはすべて解答欄に書きなさい。 [3] 近世社会の成熟と幕藩体制の動揺に関し、 以下の設問に記号で 答えなさい。 「思・判・表] (1) (1) 享保の改革に関する次の説明で、正しいものを一つ選び記号で 答えよ。(教科書 P.166 参照 (2) ア倹約令を出し、 上米の制を定めるなど財源確保に努めた。 イ町人出資による新田開発を禁じ、農民による開墾を奨励した。 ウ 競争原理を働かせるため、 株仲間による独占的営業を禁じた。 財政難のもとで人材を登用するため, 相対済し令を出した。 (3) (3点×3) (2) 蘭学の始まりに関する次の説明で、誤っているものを一つ選び記号で答えよ。 (教科書 P.172 参照) ア 8代将軍吉宗は、 漢訳洋書の輸入制限をゆるめ, 青木昆陽らにオランダ語を学ばせるなど西洋の学術を取り 入れようとした。 西洋の知識への高まりから、 平賀源内は、起電機や寒暖計をつくって人々を驚かせた。 ウ蘭方医の前野良沢・杉田玄白らは、 オランダ語の解剖書を翻訳して『解体新書』を著した。 エ蘭学の入門書である 『蘭学階梯』の著者稲村三伯の弟子である大槻玄沢は、日本最初の蘭和辞書である 『ハルマ和解』を著した。 (3)雄藩の誕生に関する次の説明で、正しいものを一つ選び記号で答えよ。 (教科書 P.184 参照) ア幕末には、諸藩でも有能な中下級家臣を登用し、 財政再建や藩権力を強化し、幕政改革に協力しようとする 動きがみられた。 長州藩では、村田清風が商人から多額の借財を行い, 紙や蝋の専売制を改革した。 ウ幕府は、江川英龍 (太郎左衛門) に命じて伊豆韮山反射炉を築き、大砲を鋳造した。 エ薩摩藩では調所広郷を登用し、奄美の黒砂糖の専売制度や琉球経由の貿易の大規模な事業化に成功した。

回答

✨ ベストアンサー ✨

すみませんが、画質はあまり改善されていませんし、向きも回答者に対しての配慮が見受けられません。

何かの端末を直撮りしているのですか?それならば一旦スクショを撮って向きを変えて転送してそれをここで貼り付けてもらいたいです。そうでないと少なくとも私は答えられません。

涼介

今回はどうですか。

この回答にコメントする
疑問は解決しましたか?

この質問を見ている人は
こちらの質問も見ています😉