日本史
高校生
解決済み

日本史の弥生時代の範囲についてです。

九州北部を中心に分布する銅矛や銅戈、瀬戸内は平方銅剣、近畿は銅鐸ですが、これらはなぜ1部に偏っているのでしょうか?

ただ伝えられた場所がそれぞれ違っただけとか、その地域での宗教とかで偏ってるのでしょうか?

教えてくださるとありがたいです🙇

銅鐸 銅矛 銅剣 銅戈 弥生時代

回答

✨ ベストアンサー ✨

関西に偏ってるって話ですか?それなら当時の最先端技術は大陸から渡ってくるので、大陸に近い九州、九州に近いエリアで瀬戸内、畿内近辺で多く発掘されるからですが…

一般人

説明が下手ですみません…
なぜ銅戈や銅矛は九州中心に分布し、なぜ平方銅剣は瀬戸内内部を中心に分布し、なぜ銅鐸は近畿地方に分布するのかという話です

Pクレゾール

確かに教科書にはその分類で多く出土しているとの記述がありますが、それはかつての発掘調査がまだ多く行われておらず、偏っていたから(無論現在でも大方の分布は変わらないが)だとされています。
かつてはその偏りからそれぞれの青銅器に「青銅器文化圏」がある、という論が考古学会では一般的だったわけですが、発掘調査などが進み、発掘量が増えるとこの論も一部否定されています。
まぁつまるところよく分からんってのが結論ですね。
銅鐸と偏に言っても、いろんな種類があり、それが時期によって形が変わり、その分布もちょろちょろ変わるので、大きな枠に当てはめてこうだ!ということができないというのが現状の研究状況だと、私が軽く論文読んだ感じはそう理解しました。
自身で読みたいなら
(山口欧志「弥生銅鐸の分布とその意味」実践考古学GIS 144〜153頁、2006年)
を参照してください

一般人

詳しく教えてくださりありがとうございました🙇!!!

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