日本史
高校生
解決済み

論述(200〜250字程度)の練習をしています。
「源平の争乱(治承・寿永の乱)について」なのですが、添削していただきたいです。
足りない要素、あるいは削ったほうが良い要素があれば教えてください🙇‍♀️

源平の争乱は、平安時代末期におこった源氏と平氏の内戦である。 平清盛が政権を握ると以仁王と源頼政が挙兵し、以仁王の令旨が諸国の武士に伝えられた。平氏は都を福原に移したが、大寺院や貴族からの反対を受けすぐに都を京都に戻した。その後、清整の死や飢饉などで平氏は弱体化し、源義仲に敗北すると安徳天皇を奉じて都落ちした。 1180年に源頼朝が挙兵し、一の谷の戦い、屋島の戦いを経て、壇の浦の戦いで平氏を滅ぼした。源頼朝は鎌倉幕府を開き、武士の時代が始まることとなる。

平安時代 源平の争乱 治承・寿永の乱

回答

✨ ベストアンサー ✨

どれも細かいですけど
・源平の争乱(のは入れなくても良い)
・源氏と平氏の内戦より、清和源氏と伊勢平氏の間で発生した内乱の方が良いでしょう。源平争乱は必ずしも桓武平氏=清盛の味方ではないので。
・「平清盛が政権を握ると頼政と以仁王が〜」とあるが、これだと清盛が政権を握るや否やそれに不満を持った頼政や以仁王が反乱を起こしたように読めてしまうので、平清盛と後白河院の対立が激化した所、頼政や以仁王が蜂起したという書き方の方が良いと思います。
・以仁王の令旨は諸国の源氏に対して出されたとされているので、諸国の武士に対しては誤りの可能性
・都落ちの記述後に頼朝が出てくるのはともかく、時代が巻き戻るのが違和感。義仲と同時期に挙兵した頼朝は東国で勢力を蓄え、西国での合戦において伊勢平氏を滅ぼしたとかの方が良いです。

なのでまとめると
源平争乱は平安時代末期に清和源氏と伊勢平氏の間で発生した内乱である。
平清盛と後白河院の対立が激化した所、源頼政と以仁王が挙兵し、以仁王の令旨が諸国の源氏に伝えられた。この令旨に呼応し挙兵した源義仲が上洛を果たすと平氏は安徳天皇を奉じて西国に逃れた。義仲と同時期に挙兵した源頼朝は、東国で勢力を蓄え幕府機構の基礎を整えると、1185年長門壇ノ浦において平氏を滅ぼした。

なるべく元の文を変えないようにしましたが、文字数とかは考えてないので、足りてないor多い場合は変えるなりして下さい。

ピンポン玉戦争

細かく丁寧にありがとうございます😭大変助かります!😭

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