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松方財政でデフレになった原因が分からないのか、デフレ誘導政策で具体的に何をしたのかが分からないのかそれとも他のことがわからないのか、どれですかね?
誘導政策の内容とその影響が知りたいです。
松方財政で何故デフレになったのか、そもそも何故デフレを目指したのか、そして具体的に何を行ったのか、そしてその影響、この辺りはまとめて解説します。
まず何故デフレを目指したのか。これは地租改正関連で教わっていると思いますが、地租改正は定額金納の地租を政府に納めるように制度を変えたわけですが、定額金納になった結果、インフレとデフレの影響を受けるようになります。で、インフレになると政府財政は悪化し、デフレになると農民が困窮します。
(ここがわからなければまた聞いて下さい)
で1870年代後半は日本は激しいインフレに苦しみます。理由は簡単。西南戦争の出費です。当時の国家予算が5000万の時に戦費で4000万円使い、それを通貨発行で賄ったからです。で先程述べたようにインフレだと政府財政は悪化するので、なんとかして政府が儲かる形にしなければならない、つまりデフレ誘導政策が必要になります。だから1880年代初頭に松方デフレが行われることになります。で具体的に何をするかですが、まず無駄遣いをやめます。因みに政府内部で金がかかる割に対して成果のない部署をぶっ潰そうとして、ぶっ潰されたのが開拓使です。結果この潰された開拓使事業の払い下げの汚職関連で大隈は政府を下野することになる明治十四年の政変が起こります。
少し逸れましたが、それから官営事業の払下げをします。官営事業とは富岡製糸場のように国が産業の発展のために運営していた工場のことで、これらを民間に売っぱらうことで出費をおさえます。
そして増税です。例えば今岸田さんが消費税上げるってなったらとんでもない批判を受けると思いますが、経済への影響で言えば、何か買うたびに払う金額が増えるとしたら消費が落ち込みますよね。同じです。当時も消費税ではないですが、色々なものに税をかけて消費を抑え、金が市場から少なくなるように仕向け、最終的に政府に入ってきた金は処分して金の全体量を減らします。これでデフレにします。
そして影響。デフレにより政府の収入が安定したことで銀本位制を取ることができるようになり、為替相場がある程度安定し、貿易が増えます。
しかし先程も言ったようにデフレになると農民生活は困窮します。困窮した農民は土地を手放し、小作農や工場労働者になります。そして手放された土地を大量に手に入れた大地主である寄生地主が誕生します。
そして地主は小作人から搾取して資本を蓄え、その資本は銀行に預けられ、その資本は企業の設立資金に使われるようになり、設立された企業・工場で働くのはこれまた没落した農民や、農業単体では暮らせない貧しい農家の子女です。彼女たちは一日に何十時間も熱湯に手をつけて生糸を紡ぐ紡績工場に出稼ぎに行き、その原料となる蚕の繭を育てるのはこれまた貧しい農家です。また農家の次男坊・三男坊は暗い炭鉱で石炭を掘らされてその石炭がまた産業に使われて…というようなマッチポンプが誕生します。
なのでまとめると
松方デフレによって政府財政は安定したものの、困窮する農民が多く出現し、彼らの多くはその後の企業設立後に労働者や原料供給者として酷使されることになった
というところでしょうか。
なるほど、すごくわかりやすいです!ありがとうございます!
インフレだと政府財政が悪化するという点と、銀本位制の仕組みがわかりませんでした。
教えていただきたきたいです。
どちらもわかりませんでした。すみません。