日本史
高校生
解決済み

開発領主が郡司や郷司、保司になったというのは、農民であり耕作をしていた立場から、徴税を担当するようになった
つまり、地位が上がったという感じなのでしょうか?

回答

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少し違います。開発領主になるのは元々は先祖が都の有力者だったものの、嫡流からは遠くなってしまい二流、三流の貴族だった連中が成功などで国司になり、その赴任先にそのまま土着したパターンや、各地の反乱などの鎮圧にあたった軍事貴族の末裔のパターンが多くあります。なのでそこら辺の元から農民でちょっと成り上がっただけの連中(田堵)とは出自が違います。鎌倉時代に有力御家人と呼ばれる連中の殆どは自称ですが源平藤橘のいずれかの血を引いています。
例えば比企能員は比企藤四郎を名乗っていますし、三浦一族は平姓を名乗っています(実際は本当かどうか怪しいが)
安達は藤原、北条は平、武田は源、梶原は平、二階堂は藤原、畠山は平、千葉も平、宇都宮は藤原…と誰もが名前を聞くような一族は都の貴種たる血を継いでいるわけです。なので地位が上がったというより、元から赴任してこない国司に変わって実質的にその地を支配していた豪族がそのまま郡司やら何やらの地位を追認されたパターンも多いです。まぁこの点に関しては高校では覚える必要は無いので、大学で日本中世史を学びたいなら覚えておいて損はないと思います。

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詳しくありがとうございます!

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