歴史
中学生

社会の歴史の勉強をしていて疑問に思ったことが
あります!

ポツダム宣言を早く受け入れていたら原爆は投下
されなかったのでしょうか?
それとも最初から投下されることは決まっていたのですか?

また、なぜ原爆を投下されたのか教えていただきたいです!

回答待ってます!🙇🏻‍♀️

歴史

回答

_ボツダム宣言の早期受諾をしても、原爆は落とされました。
_ざっくり、原爆を作って完成したので、実戦で使用して効果を実験しなければならなかったからです。
_元々は、原爆はドイツに対して使うつもりであったことは調べたと、推測します。
_莫大なお金をつぎ込んで完成させた事業なので、兵器なので実地の実験をして完成させなければなりません。
_てすから、ウラン型、プルトニウム型、と、違う原爆を使用したのです。
_完成が遅れ、ドイツと一応の手打ちが付いてしまった状況で、早期に実験出来る国はもう日本しか残っていなかった訳です。
_また、周辺への影響も考慮すると、ユーラシア大陸の中の国であるドイツよりも、島国の日本は、実験にはとても都合の良い国であった訳です。
_実験として、条件を切り分ける為に、別の島である、本州と、九州本島と、に、分けて落としている訳です。

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落としていないと思われます。
そもそも、敗戦を認めた国にわざわざ追い打ちをかけるなんてことしたらそれこそ米国に批判が浴びるでしょう。
しかも歴史的観点から考えると元は独に落とされる予定でした。ですがヒトラーが死亡し数日後にベルリンが陥落、独の敗北となり、原子爆弾投下の時期を逃しました。
そこで原子爆弾を投下する意見に賛成と反対で米国内は別れました。
賛成派ではトルーマン大統領などが有名で、反対派ではアイゼンハワー将軍などが有名でしょう。
賛成派の理由としては米国の力を見せつけるためだと思われます。
当時の大国は米国、大日本帝国、ソビエト連邦など様々な大国があったため、唯一核を持っているというのを見せつけたかったのでしょう。
ただ選択肢は3つあったんですよね
1:島に落とす
北海道、本州、四国、九州以外の島に落とす択がありました。
もちろん最善なのは落とさないことでしょうが択一ならこちら側からしたらこれが一番だと思われます。
火力も見せつけられるはずですけどね(損害は少ない模様)
2:軍需工場に落とす
軍需工場であれば理解は可能です。破壊目的に加え火力も見いだせる。これが考えられる中で敵側なら最善策だと思われます。
3:民間人含む場所に落とす
3取りましたね、広島市には確かに当時軍需工場は存在しましたがそれ以上に広島市民を巻き込むのは論外だと思われます。
正直賛成派の意見には納得できないことが多々あります。落とされた側の結果論ですがね。
まぁこんな感じです。
ちなみに反対派は強行されていたので反対派の人はほぼ悪くないとは言えます。

ฅ^•ω•^ฅ

個人的な意見ですが日本は原爆を投下されるくらいのことがないとポツダム宣言は受諾しなかったと思います。
実際、当時は軍部が政治で影響力を持っており原爆投下後でさえ戦争を継続しようとし最後までポツダム宣言の受諾に反対していました。なので原爆を落とされていない状況でのポツダム宣言受諾はそもそも考えずらいと思います。いずれにせよアメリカは戦後の世界での影響力獲得のためにも核の威力を示すためにも日本に見せしめとして核を落としていたと思います。

ひなた

確かに当時軍部は反対していました。
ですが知っていますか?当時の首相である鈴木貫太郎は、最高戦争指導会議をすっ飛ばして御前会議へ持っていきました。
軍部の中であれば反対派の意見が多数存在したため、ポツダム宣言が受諾されないと考えたのでしょう。
こちらの動画に詳細が載っております↓
https://youtube.com/shorts/HjrJ3XvhtbM?feature=share
そしてその後は8月9日になってしまいますが御前会議が開かれました。その後下記の動画にも書かれていますが3対3に意見が割れた後に陛下に鈴木貫太郎首相が問いかけたのです。
そして陛下は元から賛成派であったが為にポツダム宣言受諾が決定されたのです。惜しくもその日に長崎に落とされてしまったのですけれどもね...
https://youtube.com/shorts/K-PQsYKmCWo?feature=share

ฅ^•ω•^ฅ

動画をすべて見ました。当時のことを全て知っているわけではないので自分の意見もあくまで想像ですが、鈴木貫太郎首相がそこまでのことしたのは8月6日に広島に原爆を落とされたからというのが大きいと思います。広島に落とされた原爆の威力を知ってから鈴木首相の行動だと思うのでどの道1回は日本に原爆が落とされていたというのが自分の意見です

ひなた

調べましたが資料がどちらにもないのでなんとも言えませんね
まぁそれこそ解明されることを楽しみに待つことが一番でしょうねぇ

ฅ^•ω•^ฅ

是非解明されて欲しいですね。歴史とかめっちゃ好きなのでこうやって楽しかったです。ありがとうございました

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ポツダム宣言を早く受け入れていても原爆は落とされていました。
理由はアメリカが世界で影響力を持つためです。
当時アメリカが核爆弾の開発を成功させたあとソ連が核爆弾の開発を成功させています。
アメリカからすると自分たちが核爆弾を落として戦争を終わらせたというとこにすると戦争後に他の国に対して大きな影響力を持つことができます。
なのでポツダム宣言を早く受け入れていたとしてもアメリカは今後世界で影響力を持つために見せしめとして日本に原爆を落としていたと考えられます。

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①歴史の勉強は、そういうことを疑問に思うことが大切です。
そして、色んな人の視点(回答)に触れることは大変良い事だともいます。

②歴史と事実を丹念に見ること
外交はだまし合いですから、表の歴史が真実とは限りません。

色んな資料から分析すると
日本と戦争する事は、アメリカ政府は意識していました。
国民は、アジアでの戦争に興味はありません。本来は、ヨーロッパでの戦争にもです。ただ、商売のつながりや親戚関係でヨーロッパでのWWⅡには関心があるって感じです。

②外交もしょせんは人のすること。
陰謀論では、既定事実のように語られますが、歴史は不特定な要素の連続です。

もし、原爆の完成が最初から織り込み済みなら、米英はソ連の対日参戦を打診しません。
私が米英の上層部なら、ソ連とは戦後米ソ冷戦を考えると、あまり力を借りたくないと思うはずです。

しかし、ペリリュー島以降の日本軍の抵抗は激烈で、アメリカ軍も相当被害を出していました。
もし、アメリカが日本での本土決戦をしていたら、相当米兵が死んだと思います。
さらに、先にドイツが降伏したので、アメリカ国民もWWⅡへの関心が薄れていくことが予想できます。
早く、日本との戦争を被害を少なく終わるには、ソ連と核兵器は必要だった。
本来は、核兵器を日本上陸作戦に何発も使う予定だった。

③日本的には、講和のきっかけが必要でした。
・本来は、レイテ海戦など、どこかで戦果(勝利)をあげて講和するとか、
・ソ連の仲介の元講和することに淡い期待を持っていました。(←これは、ありえないのですが、日本政府の外交センスの無さが原因です)
それ以外なら、ズルズルと本土決戦をして破滅するまで、戦争を続けざるおえなかった。
政府や軍の高官の立場や、徹底交戦派の暴走(クーデターや暗殺)の恐れがあるので、誰も、戦争をやめるとは言えなかった。

④ポツダム宣言を日本が受け入れるのは難しい(③の理由で)。
そもそも、そんな外交センスとか、軍部と政府の命令系統がしっかりして、政府の指導力あったら、満州事変からの日中戦争そして太平洋戦争に至っていない。

⑤ポツダム宣言を日本が早く受けても、アメリカ軍が日本に無事に進駐する前に、ソ連も日本に進駐してくるはず。
実際、千島列島の日本軍の戦車隊がソ連軍の侵攻を遅らせたので、北海道にアメリカ軍が進駐できたが、ソ連は、北海道を手に入れる予定だった。事実、米英ソで、ドイツのように日本を分割統治する占領範囲も事前に取り決めていた。
だから、米ソ冷戦を見据えて、原爆を一度使いたかった(使わざるおえない)局面はあったと思います。=結局、一発は原爆を落としたと思う。
歴史では、日本は、広島の原爆投下で経戦意志を失っている。(政府内の調整に時間かかっている。事実、陸軍のクーデター実行の流れもあったから)
しかし、ソ連の参戦後にポツダム宣言受諾されては困る。最後の一撃はアメリカでないといけない。そこで、長崎への原爆投下になる。

⑥それでも、残る疑問
歴史の流れ上、長崎への原爆投下までは、止めようが無かったと思います。
しかし、実は、2発の原爆は、形が違うんですよね。比較対照実験するかのようにね。つまり、ポツダム宣言で、日本に降伏を訴えているけど、アメリカは、2発を使い切ってから、戦争を終えようと思っていた可能性もあるんですよね。
つまり、日本の早期降伏をしないと確信していたか、早期降伏をさせないという意志はあったかもしれません。

⑦戦後、ソ連の極東での膨張(朝鮮戦争)の時に、マッカーサーは、戦前の日本(日本陸軍、関東軍)の大陸(満州)へのこだわりを痛感します。
彼は、一度日本軍に負けて、フィリピンを脱出しているから、日本軍に良い感情も持っていない。
旧満州地区からのソ連の武器支援とか、中国共産党の義勇軍とかが北朝鮮を補強していき、中々、アメリカ軍(国連軍)が勝てません。
彼は、朝鮮戦争への原爆の使用を考えました。そして、そのことで、アメリカは、彼を解任しました。
戦後は、政治的や外交などの配慮から核兵器が使えない世界になっていたのです。
だから、WWⅡには、早期の戦争終結という大義を利用して、アメリカは、核を確実に使ったはずです。

⑧ソ連の参戦も、核兵器の使用も無くても、日本には勝てたはずです。
当時の日本軍は、軍艦をことごとく失い、石油の備蓄も無くなっていましたからね。
海上封鎖と定期的な都市空襲(本来は、都市空襲は戦争犯罪だが、アメリカは、日本の兵器を町工場でも作っていると言って正当化しています。)をしていたら、兵糧攻めで勝てたはずだからです。
石油が無ければ、飛行機も軍艦も動かない。事実、防空の航空隊の燃料備蓄は終戦時にはほとんど無くなっていました。つまり、ほっといても、8月以降には飛行機が飛ばなくなったと思います。

⑨そもそも、アメリカ(政府。市民は戦争を望んでない)が日本と戦争を意識したのは、日露戦争後なんですよね。
日露戦争の講和をアメリカが仲立ちしますよね。あれって、アメリカには下心がありました。
日本単体では戦争を終えられなかった=それ以上日露戦争していたら、日本は財政破綻していた。
だから、アメリカに恩義を感じて、満州の権益を半分アメリカに融通して欲しいと思っていた。
日本は、とんでもなく国力を使い果たし、当時としてはむちゃくちゃ戦死者がでた(太平洋戦争は日露戦争以上にでていますけどね)ので、国民感情的に、満州をアメリカと半分こはできなかった。
その辺りから、アメリカはオレンジ計画といって、対日戦を意識しだした。
だから、東京裁判では、アメリカ軍と一番戦った海軍より、陸軍からA級戦犯でている。
さらに、満州に関わった軍人枠があるのじゃ無いかってくらいに、満州関連の人が結構います。
(太平洋戦争時に出世した陸軍軍人は、満州との関わりが深いから、たまたまかも知れませんけどね。)

⑩原爆は成り行きかも知れないが、アメリカの対日戦は必然。
原爆は開発の加減で、計画通りに開発できるかどうかわかりませんから、成り行きの部分もあると思います。
実際、日本軍の風船爆弾で、送電線がやられ、原爆開発が少し遅れたりしていますからね。

★歴史って、面白いでしょ。もし(IF)を考えたら、歴史は連続性だから、区切れないんですよね。
実際、満州事変の張本人の石原完爾を極東軍事裁判でアメリカは最初罪をとおうとしましたが、彼は戦争の天才というわれた軍人です。
彼は、太平洋戦争の原因を満州事変という別の出来事に求めるなら、ペリーが幕末開国に来なければ戦争は無かったと言っています。
彼は、太平洋戦争の前に東条英機との確執で軍を去っていることもあり、彼は無罪になっています。

主体的・対話的深い学び 課題発見・課題解決 第二次世界大戦 原爆 アメリカ イギリス ソ連 米ソ冷戦
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ポツダム宣言を受け入れていたら原爆の投下はなかったと思います。
理由としては、ポツダム宣言の内容にもある通りアメリカは日本の領土を制限したり占領したりするわけです。日本がポツダム宣言を受け入れ、そのうえで原爆を投下したら態々自分の領地を荒らす事と同じです。おそらくそのような事はしないでしょう。

原爆を投下した理由としては、日本を早く降伏させたかったからです。さらにこれにも理由があって、1つ目は周りからの印象です。小さい島国の日本”ごとき“に時間をかけていたら他の国から舐められてしまいます。
そしてもう一つの理由としては少し難しいのですが戦争や戦争費、原子爆弾使用を正当化するためです。戦争には莫大なお金がかかります。もちろん、原爆の開発にも。その原爆の開発にかかったお金はとても高かったそうです。そのようなお金をかけてまで戦争が終わらなかったら国内からも批判が来てしまいます。
つまり、原爆の投下=戦争の終結となれば、かかったお金に関しても認めざるを得ないのです。
以上がポツダム宣言についてと原爆の投下についてです。
結構分かり辛いところがあるかも知れません。
参考になれば幸いです✨

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