歴史
中学生
解決済み

質問がいくつもあるので番号で分けました。

①南北朝時代のとき、守護の権限が強まった理由をより細かく考えてみたのですが、南北朝時代は朝廷が2ヶ所にあったため争いが多くなってしまうから守護たちができることを増やすために幕府は守護の権限を強めたという解釈で合っているでしょうか?

②南北朝時代のときも守護大名はいたのですか?

③写真の質問(3)で「守護の権限が〜」とありますが、恐らく「守護大名の権限が〜」というふうに捉えてはダメなんですよね。守護と守護大名は何が違うのでしょうか?

4Q 資料から考えよう 資料 守護の権限 かまくら 鎌倉時代 守護一地頭 国内の御家人の 統率・治安維持 守護の権限の強まり 教p.76~77 Y 室町時代 御家人を鎌倉や京都の警備へ当たらせる権限・反逆者や犯罪者を逮捕する権限 他人の田の稲を一方的にかり取る行為を取りしまる権限 いね はけん 使節を派遣して幕府の決定を実行する権限 しょうえん ねんぐ 荘園の年貢の半分を取る権限 国司の権限も吸収して 一国を支配 || ( X ) 4 □ (1) 口 (2) 思 (1) 資料中のXにあてはまる大名を答えなさい。 (2) 読取 記述資料を見て、 守護の権限は鎌倉時代以降,どのように変化し たか書きなさい。 76~77 (3) 理由) 記述 守護の権限が (2)のように変化した理由を, 資料中のYの時代 を表す語句を使って書きなさい。 76~77 鎌倉府 守護大名 権限が強まっている。 (3) Y の時代にはど のようなことが起 きていたかな? (3)南北朝時代に、室町幕府が(戦乱をしずめるため)守護たちに権限を認めた 記述 check (3) Y の時代を表す語句を使った? 文末は 「~から。」 「~ため。」 などになっている? 歴史1一教 から。 解説・解答集 p.19 月 8 35
南北朝時代

回答

✨ ベストアンサー ✨

①他人の田んぼの稲を勝手に刈り取る行為は歴史用語で「刈田狼藉」と呼ぶのですが、何故そもそもこんなことが起こるのかということに目を向けると、当時は一つの土地と言えども、幾人もの人が
「ここは俺の土地!」
「違う!何言ってんだ!ここは俺の土地!」
と主張してたわけです。そして基本的に
「ここは天皇からもらった土地だ!」
という書状等で証明出来ればいいですが、そうじゃない連中はどうしたか、
「ここは俺の土地なんだから勝手に稲を刈り取ってもなんの問題もない!」
という見せつけの為にやったりなんかしたわけですが、やられた方はたまったもんじゃないので、しょっちゅう裁判になっていたわけです。んで面倒臭いので、鎌倉幕府が色々するのではなく、現地の守護に解決を一任し、それを幕府に報告する。これが鎌倉時代でした。
ただ室町期に入って
国内が荒れている=農作物の生産量も下がる=武士の困窮に繋がる等々はまずいと判断し、国内安定化の為に守護の権限を強化した、これが苅田狼藉の取締り権及び、使節遵行権(使節を派遣して幕府の命令を遵守させること)です。
因みに荘園の年貢を半分取っていいとしたものを半済令と言い、これが守護を強化し、守護大名へと至る契機となります。この半済令は観応の擾乱がきっかけで出されたものなので、②はまだ南北朝期には誕生していないと言えるでしょう。

③守護と守護大名の違いは保持する権利の違いです。守護はあくまで現代の警察のようなものです。鎌倉初期の守護の権利は大犯三箇条(京都大番役の催促、謀反人、殺害人の逮捕)でしたが、徐々に上記の苅田狼藉の取締り権、使節遵行権、半済権などの権利を手に入れ、実際に領国に対して絶大な影響力を及ぼすことになり、軍事、警察権のみならず、経済的な影響力も持つようになった室町時代の守護を一般に守護大名と呼びます。

Pクレゾール

訂正
室町時代ではなく鎌倉末期〜南北朝期にかけて守護権限が強化されています。

Ag

ご丁寧にありがとうございます!とてもわかりやすく助かりました!

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