現代文
高校生
遅れてきた私という文章に、結び目という単語が出てくるのですがどういう意味なんでしょうか?
MO
ことは、その世界を通じて私たちが死者たち、その個々の名も顔も知らぬ無数の死者た
ちとのつながりを、多くの場合は取り立てて意識することもなく生きているということ
だ。そうしたつながりを、歴史や時間の流れを通じての関係であるという意味で「通時
性」や「通時態」という言葉で言い表すこともある。
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「私」という存在は、さまざまな他者や事物との共時的、通時的なつながりの中の
「結び目」のようなものとして存在している。それは、私という存在が「社会の中」に
存在しているということだ。そしてそのことは、私やあなたが現にある私やあなたであ
ることが、すでに社会的な関係の中で与えられる社会的な出来事であるということ、そ
とした
した
113 遅れてきた 「私」
………」とか言うとき、「先祖」や「祖先」という言葉で総称されるのは、かつて生き、
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けれども今は死んでしまってもうここにはいない死者たちの群れである。だが、過去に
位置するこの死者たちと私たちは、時の隔たりを超えてつながっているものとして考え
られている。言語が、文化が、知識が、伝統が、かつて生き、今は死んだ人々から継承
されて今あるものとして存在しているからだ。 名字というのは、両親とのつながりを示
しているだけでなく、その名字を継承してきた今は亡き数知れぬ人々のつながりの中に
個々の人々が生きていることを示す符丁のようなものだ。また「日本人」とか「韓国
人」、「アメリカ人」や 「フランス人」といった言葉が使われるとき、そこで意味されて
いるのも現に生きている諸国民の共時的な集合体である場合もあるけれども、そのよう
な共時的なつながりを超えた歴史的連続体としての人々の群れを意味することもしばし
である。
私たちの生きている世界は、風景や町並み、建物のような有形のものも、言語や文化、
法や制度のような無形のものも、その少なからぬ部分分野によってはほとんどの部
分――が、すでに死んでしまった人々によって作られている。私たちは、その多くの部
分が死者たちによって作られた世界に生まれてくる。私たちが経験する「死者たちの作
った世界」は共時的な現在である。だが、そのような共時的な現在を生きているという
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2 符丁 特定の業界や仲
間内だけで用いられる
隠語。
共時的 彼岸 継承
総称
評論皿
ことは、その世界を通じて私たちが死者たち、その個々の名も
知らぬ無数の死者た
ちとのつながりを、多くの場合は取り立てて意識することもなく生きているということ
だ。そうしたつながりを、歴史や時間の流れを通じての関係であるという意味で「通時
性」や「通時態」という言葉で言い表すこともある。
「私」という存在は、さまざまな他者や事物との共時的、通時的なつながりの中
「結び目」のようなものとして存在している。それは、私という存在が「社会の中」に
存在しているということだ。そしてそのことは、私やあなたが現にある私やあなたであ
ることが、すでに社会的な関係の中で与えられる社会的な出来事であるということ、そ
の中で私もあなたも、死者をも含んだ私以外の他者たちから与えられ、我がものとした
言葉を使い、やはり他者たちから我がものにした慣習や道徳に従って生きているという
ことだ。とすれば、社会について考えるとき、その対象は法律や政治や経済の中に、そ
の私という存在や
してまたさまざまな「社会問題」の中にあるだけではなく、
日々の営みの中にすでに存在しているのだということになる。
私は社会の中に、常に社会から遅れて現れる。私も、私の日々の
生じる社会的な出来事なのだ。
社会の中で
◆「言葉」や「慣習や道
徳」を、私たちはどの
ように身につけたのか。
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