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大日本帝国憲法作成時、大隈重信はなぜイギリス型を取り入れたかったんですか?

大日本帝国憲法

回答

✨ ベストアンサー ✨

_誰が法律を作るのか、誰が権力者か、と、言うのが、イギリス型と、ドイツ型と、の、違いです。
_イギリス型は、二大政党制で拮抗し、政権が度々変わる様にデザインされています。そして、議会で法律を決める様になっています。国王は権力者であるけれども、議会でその権力を制限出来る訳です。同じ政党が長く与党を続ければ腐敗して行くのは、中国・ロシア、そして、日本を見れば分かると思います。
_ドイツ型は、権力者が法律を決める様になっています。議会でものを決めますが、飽くまで上申であって、決めるのは天皇と言った体裁を取っています。法律を作るのは天皇です。

_大隈重信は、国民が国の方針(法律)を決めるべきである、と、思っていたのだろう、と推測します。

ぺんぎん

_大隈重信の上申書より、抜粋、現代語訳。
 『立憲政治において、国民の人望を表示する場は何でありましょうか。それは国会です。何を指して国民の人望と言うのでしょうか。それは、国会議員の過半数が望んでいるということです。人望のある人とは誰でしょうか。それは、国会議員の過半数を形成する政党の首領、その人であります。そもそも国会議員は、国民が選挙によって選ぶものであって、国民の思想を示すものでありますから、選挙された国会議員の希望は、すなわち、国民の望むところであります。国民の過半数が支持して敬愛する政党であって、その政党の領袖として敬慕する人物は、国民の人望の集まるところではないでしょうか。そうであるとすれば、国会は、立憲政体にとって、聖主が適切な人物を十分に考慮されることを容易になされる、好ましい場を生み出すものと言えましょう。これによって、聖主は、単独で熟慮選抜される苦労から解放されるだけではなく、国家に常に安寧と幸福をもたらすことを可能とするものであります。なぜならば、このようにして選抜任用された人物は、人民が参政する場である国会で過半数の議員を制しているわけでありますから、政府の外に対しては、立法部を左右するの権限を掌握しており、又、聖主の思し召しをもとに政府の首長となって、自党の人物を顕要の職に配置いたしますので、政府の内に対して、行政の実権をふるうことができるのです。これによって、政府の内外で矛盾なく、すべての政治が一つの源から発して,政治上の事務が始て整理されることになるのです。』

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