現代文
高校生
解決済み

至急です。
国語で「美しさの発見」というものをやっているのですが、
わからないところがあるので回答をいただきたいです。

【問】芥川龍之介の少年時代のエピソードを用いることで筆者が述べたかった内容を本文から五十字以内で抜き出してください。(句読点を含みます。)

【本文】
芥川龍之介が小学生の頃、先生が教室で「美しいもの」の例を挙げなさいと言った時、少年龍之介が「雲」と答えて先生に叱られたという話を、以前どこかで読んだことがある。他の子どもたちは、「花」とか、「富士山」とか答えたのに、龍之介が「雲」と言ったので、教室中が失笑し、先生は、雲が美しいものだなどというのはおかしいと叱ったのである。このエピソードは、龍之介が子どもの頃からいかに鋭敏な感受性の持ち主であったかということを示すものとして、しばしば引き合いに出されるが、それと同時に、先生のほうがーーーそれと他の生徒たちもーーー「美しさ」というものを「花」や「富士山」の中に内在しているある種の性質と考えていたことをも裏ずけている。つまり、ラジウムやウラニウムには放射能があるが、その辺の道端の石ころには放射能がないというのと同じで、龍之介がたまたま、「美しさ」という放射能を持ったものとして「雲」と言ったので、皆笑いだしたのである。しかし、「美しいものは雲」と答えた時の少年の心の中に、確かにある種の実感があったに違いないことは、容易に想像される。我々は、魂が高揚している時、例えば人を愛している時には、空の雲にも涙を流すことがある。詩人というのは、人並み優れた鋭い感受性と柔軟な魂の持ち主だから、ふつうの人がなんとも感じないような平凡なものに、思いもかけず「美しさ」を見いだすということは、しばしばあるに違いない。だが、もしそうだとしたら、「美しさ」は、草花や山といった対象にあるのではなく、それを「美しい」と感じる人間の心の方にあると言わなければならないのではないだろうか。つまり、放射能のようにあるものに属する性質というよりも、一人一人の人間の心の中にふとともった灯火のようなものではないだろうか。

です。
よろしくお願いします。

美しさの発見 国語

回答

✨ ベストアンサー ✨

まず本文の具体例は、芥川が、美しいものを「雲」と言ったことに対して、先生や他の人たちは美しいものを「富士山」や「花」としていることに着目します。
 このことからわかるのは、芥川と、その他の人たちの考え方で対立しているということすなわち2項対立が生じていることがわかります。だいたいこういう問題で2項対立が生じている文章が出ている場合筆者はいずれかの考え方を取っているので、筆者は果たして芥川の考えをとっているのか、それとも先生や他の人たちの考えをとっているのかを検討します。
 まず先生や生徒たちの考えというのは、「『美しさ』というもの」以下の文章で表れています。具体例としてラジウムやウラニウムに放射能があるということを述べていますが、これは筆者が「内在しているある種の性質」というように先生や生徒が美しさは富士山や花が生まれ持ってもつ性質であるというように考えていることを示しています。
 一方芥川が美しいとした雲に関しては魂が高揚している時や、人を愛しているときなど、我々の心によって雲を美しいと感じることがあるだけで、雲自体一般的な性質として美しいと言われるわけではありません。この対立を抑えた上で、筆者が本当に言いたいことが書かれている部分を書き抜くことになります。

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