_「批判的」と言う日本語は、(相手の意見を否定する意見と言う意味に捉えている人が時々いますが、誤った理解であり、)否定的にも、肯定的にも、ならず、あくまでも、提示された事実に基づき、感情に囚われす、裁判官の様な視座で判断することを意味しています。
_「建設的」と言う日本語は、それに対して、プレイン・ストーミング等の様に、否定的な事は排し、より発展する様な意見のみを出すことを意味しています。
_解説は、「建設的な批判」を人だからできる、と言っているのではなく、「批判」を出来るのは人だけで、物・概念は、生物ではないから思考出来ないので、「批判」される側、だから受動態になっているのてすよ、と言っているに過ぎません。「与えられ得る。」の「られ」の説明をしているだけです。
_2、は、添付の文で納得が行かなければ、
to be criticized と結びつくと、to speak on your behalf が余って余分な部品が残るから、違う、と言う解釈でも良いと思います。
_「間接的な方法」とは、客観的な方法の事です。客観視するために、代役にあなたの替わりをしてもらい、あなたが批判される側ではなく、批判する側に立てば、物理的に客観視できますよね、と、この文の著者は言っているのです。解説は、その著者の考えを説明しています。
_(しかし、批判する側に物理的に立脚しても、(レイ さんではなく)文中の you の知識も思考の癖も感情も偏見(バイアス)も変化はしないので、客観視したことにはならない、と言うのが、私の意見ですが、今回の英文の和訳とは関係ありません。)
_英語よりも、もっと本を読んで、日本語に慣れた方が良い、と、思います。
_一個目の can be offered が受動態になっているのと、二個目の to be criticized が受動態になっているのと、では意味が違います。
_一個目は、人 can offer (批判という概念)を受動態にしたのであり、二個目は、人(1) criticize 人(2) の、人(2)が主語になっているから受動態になっているのです。