古文
高校生

古文(木曽の最期)です。
第2段落で今井四郎が木曽殿に
「御身もいまだ疲れさせたまはず、御馬も弱り候はず。〜」
「〜御身は疲れさせたまひて候ふ。〜」
と反対のことを言っているのですが、何故ですか?また、それぞれでの今井四郎の心情も教えて欲しいです。

だいまの 今井四郎、木曽殿、主従二騎に おぼえぬ鎧が、今日は重うなったるぞや。」 今井四郎申しけるは、「御身もいまだ疲れ おんま さうら させたまはず、御馬も弱り候はず。何によ きせなが つてか、一領の御着背長を重うはおぼしめ かた おんせい し候ふべき。それは、御方に御勢が候はね かねひら ば、臆病でこそさはおぼしめし候へ。兼平 いちにん せんぎ ふせ 一人候ふとも、余の武者千騎とおぼしめせ。 矢七つ八つ候へば、しばらく防き矢つかま つらん。あれに見え候ふ、粟津の松原と申 2あはづ す、あの松の中で御自害候へ。」とて、打つ て行くほどに、また新手の武者、五十騎ば あらて かり出で来たり。「君はあの松原へ入らせ 軍記物語 平家物語
義仲を諌める兼平(『平家物語絵巻』 巻九) 10 たまへ。兼平ばこ と申しければ、木曽殿のたまひけるは、「義 いつしょ 仲、都にていかにもなるべかりつるが、こ れまで逃れ来るは、なんぢと一所で死なん と思ふためなり。ところどころで討たれん よりも、ひとところでこそ討ち死にをもせ め。」とて、馬の鼻を並べて駆けんとしたま へば、今井四郎、馬より飛び下り、主の馬 の口に取りついて申しけるは、「弓矢取りは、 年ごろ日ごろいかなる高名候へども、最後 のとき不覚しつれば、長きにて候ふなり。御身は疲れさせたまひて候ふ。 続く勢は候はず。かたきに押し隔てられ、言ふかひなき人の郎等に組み落と されさせたまひて、討たれさせたまひなば、『さばかり日本国に聞こえさせた まひつる木曽殿をば、それがしが郎等の討ちたてまつたる。』なんど申さん ことこそ、くちをしう候へ。ただあの松原へ入らせたまへ。」と申しければ、 I 木曽、「さらば。」とて、粟津の松原へぞ駆けたまふ。 きず らうどう につぽんごく いよいのしょ おん 今井四郎ただ一騎、五十騎ばかりが中へ駆け入り、鐙ふんばり立ち上がり、 音声あげて名のりけるは、「日ごろは音にも聞きつらん、今は目にも見た 木曽殿の御乳母子、今井四郎兼平、生年三十三にまかりなる。 さる者 O しやねん かるひろ げんさん とは、鎌倉殿までも知ろしめされたるらんぞ。 兼平討つて見参に入れ やすぢ とて、射残したる八筋の矢を、さしつ ししやう うめさんざんに射る。死生は知らず
木曽の最期 今井四郎 木曽殿 平家物語 軍記物語

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