日本史
高校生
解決済み

アヘン戦争とアロー戦争により、清とヨーロッパ諸国との貿易や外交の関係は、どのように変化したのでしょつか。
教えて頂きたいです。よろしくお願いします。

回答

✨ ベストアンサー ✨

当時、清は貿易港を広州のみにしていました。理由は、国内の銀の流出を防ぐためです。しかし、アヘン戦争で敗北し南京条約(1842)を結ばされます。この条約により、広州含む計5港を開港させられ、イギリスに香港を渡すなど痛手を負います。さらに、これに呼応するように他国とも同じような条約を結ばされます。日本史でいう安政の五カ国条約的な感じです。

その後、1856年に清がイギリス船籍中国人を逮捕した事でアロー戦争が起きます。これも清は敗北し北京条約(1860)を結ばされます。ここでは、外国行使が北京に駐在する様になります。外国行使とは対等な関係が持たれたため、これまでの冊封形式の貿易が崩れることになります。冊封形式は日明貿易みたいな感じです。中国が偉くて周辺国が貢物を持ってくみたいな。この流れで最も大きい変化はこれ(冊封形式の崩壊)ですね。

さらに深掘りして日本史と関連させるのも大切です。
当時、日本から見れば中国はめっちゃ強い国です。でも、その中国がアヘン戦争(1840)でボロ負けします。日本はヨーロッパやべぇって思うようになり、1842年に薪水給与令を出します。
=異国船打払令をやめる。打ち払ったら仕返しされちゃうので。

そして、1856年にアロー戦争でまた中国が大敗します。同年、ハリスが日本に通商要求にやってきます。「通商条約を結ばないと、中国みたいにボコすよ?」って脅しをかけてきます。そのため、焦った井伊直弼は天皇の勅許を得る前に日米修好通商条約を結ぶことになります。

脱線したことも書いてしまいすみません🙇‍♂️🙇‍♂️

☆ミ

うわあありがとうございます😭
凄くわかりやすいです!!
ほんとうに何度もありがとうございました🙇🏻🙇🏻

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