日本史
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解決済み

田中義一内閣において、
憲政会と政友本党が合同して立憲民政党を作りました。
護憲三派のときに
普通選挙を求める路線に舵を切った立憲政友会に
批判的になり分裂してできたのが政友本党ですが、
憲政会はどちかというと立憲政友会寄りであるはずなのに
政友本党と憲政会がくっついたのはなぜですか?

回答

✨ ベストアンサー ✨

加藤高明内閣の時に、憲政会と立憲政友会は政策の違いで仲間割れしたからです。そして、第二次護憲運動の後から政友本党から立憲政友会に戻る議員も出て徐々に弱体化してきたため、党首の床次竹二郎は反立憲政友会という立場で、憲政会と合同したのです。

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なるほど。回答ありがとうございます!

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