17〜18世紀後半、イギリスは清から茶などを輸入し、その対価として銀を支払っていました。しかし、清がイギリスから物を買うことは無いため、イギリスは銀を回収することができません。これに困ったイギリスは、植民地のインドから清にアヘンを密輸し、その対価として銀を支払わせることによって回収します。
そのため、清では密輸されたアヘンが蔓延してしまいました。これに危惧した林則徐という役人が、広州でアヘンを没収、海に捨ててしまいます。自由貿易を望むイギリスはこのことに怒り、清に派兵しました。これが1840〜42年のアヘン戦争です。
既に近代化の進んでいるイギリスに清は適わず、惨敗してしまいます。その結果、1842年に南京条約が結ばれます。これは香港島の割譲、公行(清で貿易が許された特権商人のこと)の廃止、上海など5港の開港(以前の清は海禁政策、つまり鎖国をしていました)、賠償金の支払いを求めるものでした。
また、1843年に虎門寨追加条約により清はイギリスの領事裁判権を認め、関税自主権を喪失します。後にアメリカやフランスなどとも同様の不平等条約を結ぶ結果となるのでした。
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