✨ ベストアンサー ✨
ロシア帝国(のちソ連)は北方の寒い地方なので、伝統的に凍らない港を求めて「南下政策」を取っていました。
もしソ連がシベリアから満州へと南下すると、次は朝鮮半島さらには日本列島が彼らの脅威にさらされます。そこで日本(特に陸軍)は、ソ連勢力を南下させないことを国防の方針としていました。
日清・日露戦争の結果、満州の経済的権利を得た日本は、当初は現地の人(満州なら中国人)がその土地を支配して、それを日本人が指導する形を取りました。
しかし、現地の人に任せていると日本への反発も大きかったので、陸軍の一部が勝手に満州を直接統治することを計画しました。これが満州事変へとつながります。
質問の回答はいくつかあります。
①満州はソ連の南下を防ぐために重要な場所だった。
②列強国が帝国主義により国力を高める中で、日本も国力を高めるために満州(さらには中国へと進出すること)が必要だった。
③日本は日露戦争など大きな犠牲を払って手に入れた満州の権利を手放すことができなかった。(政府が手放す決断をすれば、右翼に暗殺されたり、軍部によるクーデターの恐れがあった。)
例え日本が満州から撤退しても、満州には欧米やソ連が進出して来て、現地の人たちが自立することはできなかったでしょうね。また、それらの国々が新たに日本の脅威となったことでしょう。それが帝国主義の世の中です。
ロシアは現在でも同じような考え方みたいですね。