日本史
高校生
解決済み

宇多天皇は寛平の治、醍醐天皇は延喜の治、村上天皇は天暦の治で、醍醐天皇と村上天皇の政治をあわせて、
延喜・天暦の治というという解釈で大丈夫でしょうか?

回答

✨ ベストアンサー ✨

それで大丈夫です。醍醐天皇や村上天皇の時期は摂政・関白が置かれずに親政が行われたので、のちに「延喜・天暦の治」と呼ばれます。ただ注意しなければいけないのは、延喜・天暦と並べていますが、その間の朱雀天皇の時代には藤原忠平は、天皇が幼少のときに摂政、成人すると関白となり、摂関政治の形式が確立した時期でもあります。なので、延喜の治→藤原忠平の摂関政治→天暦の治→安和の変の順番です。

わざわざありがとうございます!
そこに朱雀天皇の政治が入ってくるんですね🤔
助かりました!

この回答にコメントする
疑問は解決しましたか?