山本権兵衛内閣の一つ前の内閣は第3次桂太郎内閣でした。彼は、内大臣兼侍従長であり、宮中(天皇周辺)と府中(政府)の境界を乱すとして、立憲政友会の尾崎行雄、立憲国民党の犬養毅を中心とし、第一次護憲運動が展開され、大正政変により、桂太郎内閣退陣が達成されました。当然、その後の山本権兵衛は政党内閣をめざします。そこで、第2次山縣有朋内閣で改正された文官任用例は、高級官吏に資格規定を設け、知識・経験のないものが政党などの力で高級官吏になれないようにしたものだったので、山本権兵衛内閣は、それを再改正し、政党員にも高級官吏の道を開き、政党の影響力を強めようとした、というわけです。
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