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淳仁天皇は恵美押勝が擁立に関わっているので、淳仁天皇が力を持っていると恵美押勝は自分の意見を政治に反映させることができます。
しかし、孝謙太上天皇は道鏡を寵愛しているので、孝謙太上天皇が力を持っていると政治の立場が道鏡に奪われてしまうと思ったのだと思います!

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おぽめさんの回答に補足します。教科書には「恵美押勝は後ろ盾であった光明皇太后が死去すると孤立を深め」とありますが、そこもポイントです。恵美押勝は藤原仲麻呂です。教科書の隣のページ(50ページ)の系図で、光明皇太后と藤原仲麻呂の関係を見てみましょう。光明皇太后は藤原不比等の娘、仲麻呂は不比等の孫で、どちらも藤原氏です。さらに光明皇太后は孝謙太上天皇の母親でもあります。ですから、光明皇太后は、娘の孝謙太上天皇をおさえつつ、藤原仲麻呂の政治権力の後ろ盾の役割をしていたわけで、その光明皇太后の死は仲麻呂の政治権力を弱め、それに代わって母におさえられていた孝謙太上天皇の政治力を高めることになったのです。

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