日本史
高校生
解決済み

江戸時代に、オランダ、清とは政府間の国交を結ばず、朝鮮の琉球とは正式な国交を結んで使節が行き来した理由を教えてください。

江戸時代 国交

回答

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まず、江戸時代初期、徳川家康は中国の明王朝との国交を結ぼうとしていました。しかし、朝鮮出兵で明軍とたたかった日本は以降、明との正式な国交を結べくなくなりました。そのため、中国産生糸(白糸)などの唐物を手に入れたかった日本は別のルートで手に入れようとします。マカオに根拠地をもつポルトガルが中国産生糸を日本にもたらしていましたが、南蛮貿易はキリスト教の布教と一体化していたため、最終的にはポルトガル船の来航は禁止します。それに代わって中国産生糸をもたらしたのがオランダです。オランダは貿易のみの関係でしたから、国交を結ぶ必要はありません。
朝鮮との関係については朝鮮出兵後ですから、国交を結び日本側に今後は侵略の意図がないことを理解してもらう必要があります。また、家康は朝鮮を通じて明との国交回復もはかりました。(失敗します)さらに朝鮮との関係には対馬の宗氏が貿易を復活させたいということもあり、この貿易は己酉約条による管理貿易ですから国交が必要です。朝鮮からの使節は最初は捕虜の返還が目的でしたが、のちに修好目的になります。
琉球もまた、家康は琉球王国を通じて明との国交回復を実現したい思いがあったので、家康と琉球王国とのやり取りが必要になりますから国交を結ぶ必要があります。
朝鮮通信使にしても琉球からの慶賀使・謝恩使にしても、外国の使節が江戸城まであいさつに来ることで、将軍の権威を高めるという狙いがあります。そういう意味ではオランダも江戸に行っていますから、これもまた将軍の権威高揚につながりました。
清が明を滅ぼし、東アジアに平和が訪れると、清からはたくさんの貿易船が長崎にやってきます。中国との関係については、生糸などの唐物が手に入ればいいので、商人が長崎に来るのであれば、正式な国交を結ぶ必要はありません。

助かりました。ありがとうございます!!

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