✨ ベストアンサー ✨
延喜の荘園整理令で禁止されたのは、醍醐が即位して以降(寛平9年(897年)以降)新たに設置された勅旨田です。すべての勅旨田が禁止されたわけではありません。
勅旨田の開発には周辺の農民を使っていました。とくに9世紀を通じて勅旨田は盛んに開発されましたが、農民を酷使したので、かえって地方の経済・産業の混乱を招きました。(農民は自分の土地も耕作しないといけないので)
醍醐が目指したのは、奈良時代当初のような、律令制によるキチンとした社会です。勅旨田により皇室の経済は潤いましたが、かえって地方の混乱を招いているのであれば、醍醐の思想には反することになります。
ゆえに勅旨田「新設」を停止することで、(ある程度皇室の財産を維持しつつ)地方社会の混乱を是正することを目指したのだと考えられます。
ただ、結局延久の荘園整理令で無認可荘園を「勅旨田」に一括するようになり(新設勅旨田の復活)、延喜の荘園整理令は反故にされてしまいました。