日本史
高校生

至急です。
帝国国策遂行要領についてです。
日米交渉が不調の場合対米開戦ってのは教科書に出てきたのですがこれの意味が分かりません。
ネットで調べても難しくて分かりません。最終的にこれが「当時はどのような人たちによって戦争のことが決められていたのですか」という質問に繋げなきゃいけないんです。
分かりやすく教えてくださる方いませんか?

回答

当時、御前会議といって、天皇が臨席して行う会議がありました
そのメンバーは、天皇と、内閣総理大臣・国務大臣、枢密院議長・枢密顧問官、元老、陸軍参謀総長・次長、海軍軍令部総長・次長、宮内大臣が基本です
基本的には戦争に関わることはここで決めます
終戦の聖断を仰いだのもこの御前会議の場です

当時の日本政府は軍の勢いに押されていました
それは、軍部大臣現役武官制復活や、二・二六事件などのクーデタが起こったことで、内閣で軍部に逆らえば解散させられるか、最悪殺されてしまうという立場に政治家たちがあったからです
そして、このとき政府は南進政策を選択し、領土をインドシナの方へ広げようとします
石油や天然ゴムなどの資源を得るためです
この日本の動きを良く思わない国が、アメリカでした
日本はインドシナはフランス領なので、アメリカが突っかかってくることを想定しておらず、混乱に陥りました
アメリカは石油を人質に、日本の東南アジア・太平洋撤退を求めました
日本はアメリカの石油がないと戦争を続行することはできません
しかしながら、軍部はせっかく手に入れた領土を手放したがらない
そのため、軍部では、すでに中国との戦争を始めていたように、アメリカにも戦争を仕掛けようという機運が高まっていました
とはいえ、日本は日中戦争の真っ最中
しかも、アメリカは国力で敵う相手ではありません
したがって、政府は何としてでも対米戦争を回避したいわけです
その葛藤をぐだぐだと続け、ついに軍部から「早くしないと勝手に戦争始めちゃうよ」と圧力がかかるようになりました
そこで出されたのが帝国国策遂行要項です
「期限内にアメリカと和平交渉し、問題を解決できなければ対米戦争を開始する」と政府は宣言しました
結局のところ話はまとまらず、さらにアメリカからは最後通牒ともとれるハルノートを突きつけられたことから、対米戦争は始まってしまいました

長くなりましたが、ストーリー的にはこういうことです

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