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本居宣長の歌文集『鈴屋集』の一節の現代語訳をお願いします!

練隆のぬし、今は俗ながら、悦可と法師名をさへつきて、ひたぶるに仏の道に心を寄せて、風の音虫のねにつけても、ただそなたざまの心をのみなん、深くたどりつつ、この世の方ざまのこととては、きよく思い捨てられたるあまりに、花紅葉のあだなる色も、すさまじとや思はるらん、おのづから歌よるまるることも、たえだえになんなりにける。されど息子の大平なん、かの昔の心ざしをつぎて、この敷島の道に入りたちものせらるるほどなれば、望月のまどゐは、かくることなく、ありしままになんありける。今宵はいつの月よりも、株におもしろく興ありて、皆人端近く出でゐて、賞であへるほど、軒近く吹きくる風につきて、ハギの葉音のひまひまにこの俗聖の、宵のおこなひの読経の声の、たえだえに聞こえくるも、いとあはれに尊きものから、またさまでやはと、よみてやる、

回答

✨ ベストアンサー ✨

棟隆さんは、今は在俗のまま、悦可と法師名までも付いて、
ひたすら仏道に関心をもって、風の音や虫の声を聞いても、
もっぱらそちら(仏教)方面の意味だけを深く考えては、
この俗世の方面のことといっては、きっぱり潔く思い捨てなさったあまりに、
花や紅葉の無駄に華やかな色も、白々しいとお思いになっているのだろう、
自然と歌をお読みになることも絶えがちになってしまったよ。
けれども息子の大平が、父の昔の志を受け継いで、
この和歌の道に入門し作歌なさるので、
望月の集会は、欠けることなく、以前のままであったのだった。
今夜はいつの月よりも、格別に美しく風流で、
集まった人は皆、邸の端近くに出で来て座って、月を賞玩し合っているとき、
軒近く吹いてくる風にしたがって、荻の葉音の間々に、
この在俗のまま法師になった棟隆さんの、夜の勤行の読経の声が、
絶えがちに聞こえてくるのも、たいそうしみじみと尊いのではあるが、
また、人が風流の集いをしている最中にまで、
聞こえよがしにお経を読まなくてもいいじゃないかよねと思って、
詠んで送った歌がこれである。

Yahooで調べました!

あかかああ

Googleでしか調べてなかったので、ありがとうございました!

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