✨ ベストアンサー ✨
棟隆さんは、今は在俗のまま、悦可と法師名までも付いて、
ひたすら仏道に関心をもって、風の音や虫の声を聞いても、
もっぱらそちら(仏教)方面の意味だけを深く考えては、
この俗世の方面のことといっては、きっぱり潔く思い捨てなさったあまりに、
花や紅葉の無駄に華やかな色も、白々しいとお思いになっているのだろう、
自然と歌をお読みになることも絶えがちになってしまったよ。
けれども息子の大平が、父の昔の志を受け継いで、
この和歌の道に入門し作歌なさるので、
望月の集会は、欠けることなく、以前のままであったのだった。
今夜はいつの月よりも、格別に美しく風流で、
集まった人は皆、邸の端近くに出で来て座って、月を賞玩し合っているとき、
軒近く吹いてくる風にしたがって、荻の葉音の間々に、
この在俗のまま法師になった棟隆さんの、夜の勤行の読経の声が、
絶えがちに聞こえてくるのも、たいそうしみじみと尊いのではあるが、
また、人が風流の集いをしている最中にまで、
聞こえよがしにお経を読まなくてもいいじゃないかよねと思って、
詠んで送った歌がこれである。
Yahooで調べました!
Googleでしか調べてなかったので、ありがとうございました!