Japanese history
高中
已解決

安和の変を分かりやすく教えて欲しいです🙇‍♀️

解答

✨ 最佳解答 ✨

この時代は、藤原氏が邪魔者を排除しよう!という他氏排斥が進みます。その最後が969年の安和の変です。
安和の変では、源高明が左遷(排斥)されました。

源高明は左大臣でもあり、放っておくと藤原氏よりも高い地位に登る恐れがありました。そこで、藤原氏よりの源氏である源満仲が源高明の不正を流出(密告)することで、源高明の排斥が行われました。
ただ、この密告内容は今も明らかになっておらず、源高明が本当に不正行為をしたかは分かってません。

a k a n e

分かりやすくて助かりました!ありがとうございます😭

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解答

969年に起こった政変で、源高明らが失脚した他氏排斥事件とされる。
https://nihonshiyougo.blog.fc2.com/blog-entry-1612.html

a k a n e

ありがとうございます😭😭

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藤原氏による他氏排斥事件。源高明が源満仲の讒言により、実質的な島流しに遭い失脚。藤原氏が他氏排斥を完了した事件であり、以後は摂政・関白が常設され、藤原北家による栄華の時代が始まる。

因みに何で同じ源姓の満仲が高明を貶めたのかという質問が多々ありますが、二人とも源姓ではありますが、高明は醍醐天皇の子孫なので醍醐源氏なのに対し、満仲は源頼朝のご先祖様に当たる人物ですから清和源氏です。
そもそも姓とは何じゃらほいと思うかもしれません。姓は今我々が使っている名字とは違うものです。歴史上では〇〇の△△
(例平清盛、源義朝、藤原道長など)と言う呼び方の人々が主に古代から中世に出てきますが、平や源や藤原は天皇からもらったその家族に対する呼び名のようなものだと思ってください。あくまで名字ではありません。因みに日本で最後に与えられた姓は豊臣です。なので秀吉は正確にはトヨトミノヒデヨシと呼ばなければいけないと言う話はまた今度。
ただ例えば藤原氏も時が経つにつれてねずみ算式に子供が増えていくわけです。どいつもこいつも藤原某なんて名乗ってたらよう分からんくなるんです。恐らく日本の歴史をやっていれば無限に湧いて出てくる藤原の輩に腹を立てているでしょうから、身をもって体感中の筈です。
それに全ての子孫が朝廷で活躍できるわけではなく、大抵は国司として地方に行ったりするわけです。そうするともう日本中ごっちゃごちゃです。しかも昔の人は名前に通字(先祖代々の文字)をつける風習があるのでもはやカオスです。貴方も恐らく北条時政だの義時、時宗、高時、時行…etc
時時うるせえなタヒね!と思った又は思うことになるでしょうが、北条氏の通字は時の字です。このように姓は同じ、名前の一文字も同じ、もはや亡くなったご先祖も含めたら何処の誰だか区別がつかなくなるんです。
だから名字ができるんです。そしてその名字はどうやって決めるか、土地の名前を使うわけです。一所懸命の地、即ち命をかけて守らなければいけない土地の名前や職を名字とするんです。例えば葛西清重という有名な中世武士がいますが、彼は下総国葛飾郡葛西御厨(今の葛西臨海公園の近く)を本貫地としたことから葛西氏を名乗っていますが、先祖は平氏です。こうして名字でラベリングされることですごく分かりやすくなったと思います。
もっと馴染みのある名前でいくと、武田信玄も元は新羅三郎義光流の源氏ですから、正式には源信玄な訳です。徳川家康も新田氏流源氏なので源家康です。つまりまとめると、名字とは増えすぎて分かりにくくなった一族をそれぞれ細かくラベリングしたものな訳です。長くなり申し訳ないです。

a k a n e

ありがとうございます😭😭

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