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高中
已解決

なぜ4が間違いなのですか?

問4 下線部に関連して, 江戸時代に流通した小判の重量と金の成分比率の推移 を示す次の図2を参考にして, 江戸時代の小判について述べた文として誤って いるものを,下の①~④のうちから一つ選べ。 なお金の成分比率 (%) は, 幕府さ が公定した品位による。 4 SUJJRA 434316 図2 小判の重量と金の成分比率 (1両につき) 1匁 2匁 3匁 4匁 5匁 (注) 鋳造年 慶長6 (1601) 元禄8 (1695) 宝永7 (1710) 正徳4 (1714) 元文 (1736) 文政2 (1819) 天保8 (1837) 安政6 (1859) 万延1 (1860) 84% 57 %S 66% 56 % 57 % 57 % 84% 84% DASHURGHAFE 8476103SATEROR.LO 外吉村益華の資及 PARNACAJOPAURA S THIKAMOOPANY JEG RUAHATHN CATALAR 142 57 % (桜井英治・中西聡編 『新体系日本史 12 流通経済史』により作成) もんめ (注) 匁 :重量の単位。 1匁 = 3.75g AAACXX 新井白石の意見により,幕府が鋳造した正徳小判は,重量も成分比率も, 慶長小判と同じ水準に戻された。 ②幕府は必要に応じ, 鋳造小判における金の成分比率を変化させたが, 50% 以下となることはなかった。 ③ 元文小判の金の成分比率は, 正徳小判よりは低く、後の時代よりは高かっ た。 ④ 国内と海外の金銀比価が違ったため、開国後、幕府は小判の金の成分比率 を減らして対応した。 1 95 - (2602-95)
日本史 共通テスト

解答

✨ 最佳解答 ✨

小判の金の成分比率が減ったのは、金の産出量の減少や幕府の財政難に対応するため。
因果関係がおかしいから違う

카논

なるほど、ありがとうございます!

카논

どちらにするか迷ったので、より早かった方をベストアンサーに決定しました。お2人ともありがとうございました!

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解答

_開国は、1853年。金の含有量が一番低いのは、文政2年の文政改鋳。金の含有量が57%前後になっているのは、開国前から何回も、そして、それなりの期間ある。
_財政難になったら、何回も江戸幕府は金の含有量を落としていた。

카논

詳しく書いて頂きありがとうございます!

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